陽射しの降る道
初雪の消えし小道に日ざし降る
昨日の雪は、今日の明るい日射しに跡形もなく消えた。
溶けた雪が雫となって庭のあちこちで輝き、冷えた空気は澄んで引き締まっている。その清々しさが、なんとも心地よい。
昨日雪が降ったことすら幻だったかのように——瞬く間に輝きながら消え去った初雪の潔さが、深く印象に残った。
昨日と打って変わった明るい陽射しも関係しているのか——今日は、何となく細かな文字は読みたくない気分だ。
テレビの音も、やたらに煩わしい雑音に聞こえる。
日の当たる、静かな窓際に座る。
俳人たちの詠んだ17音を何気なく眺める。
脳にするりと流れ込んでくるその感覚が、最高に気持ちいい。
さまざまな17音に込められた情景を、自分なりに自由に心に描く。
それくらいが、今日はちょうどいい。
ひたすら文字を追いたい日もある。
テレビの音がなければ、寂しくて仕方ない日もある。
どんな句も全く心に入って来ず、俳句が自分から離れてしまったようで焦りを感じる時も。
けれど——
そのどんな姿も、自分だ。
時により、現れる感情はまちまちでも——どれも、ごく自然に存在する自分自身だ。
人間も、生き物だ。
感情の動きもなく、淡々と全く同じ毎日を繰り返すことのほうが、よほど不自然で、恐ろしい。
そして——その自分は、それなりに一生懸命毎日を生きている。
自分なりに、自分の時間と真剣に向き合っている。
正しいとか、正しくない、という見方が必要な時もある。
しかし——正誤よりも、「真剣に向き合っているかどうか」の方が、きっと大事だ。
どんなに本気で取り組んでも、人間は必ず間違う。パーフェクトなどあり得ないのだから。
人は、「こうあるべき」とか「これではいけない」で、がんじがらめに自分を縛りつける癖がある。
でも——
「真剣に向き合う自分自身」がいるのなら——それでいいんじゃないか、と思ったりする。
こうあるべきだ、これではいけない——そんな呪縛からもう少し自由になってみても、きっといいはずだ。
そして——
自分の時間と真剣に向き合っている自分自身を、「よく頑張ってるな」と褒めてやる。
自分という存在を、そのまま丸ごと認めてやる。
——恐らくそれは、自分自身とうまく付き合っていくために、絶対に必要なことだ。
自分自身と仲良く付き合いながら、日々を歩んでいくことができれば———
人生の道のりに、暖かい陽射しの降る日が増えるに違いない。
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