願うこと
願ふこと無きに気づきて星祭
七夕は、秋の季語だ。現在は太陽暦の7月7日に祝っているが、本来は太陰暦の7月7日の行事。それは太陽暦に読み替えれば既に8月10日頃に当たる。立秋の8月8日以降は俳句の上では秋に入るため、七夕の季節は秋なのだ。
秋に七夕の句を詠むのは、なんだか気分がずれてしまっていて詠みにくいものだ。今回は、自由に楽しむエッセイという自由さに甘えて、ここに書いてみた。
幼い頃の七夕は、短冊にそれぞれ願い事を書いて、笹の葉にくくりつけて楽しんだものだ。
「字がうまくなりますように」「サッカーの選手になりたい」「仮面ライダーになれますように」……子ども達の願い事は、自由で夢があり、読んでいても楽しい。そして、一生懸命に書いたその願いがかなうといいね、と心から思う。
成長し、それなりに分別がつくに従い、なぜかひとは「願い事」というものから遠ざかっていく。
自分の願いを明らかにする、ということをしなくなってしまう。
なぜだろう。
大人になるにつれて、叶えたい願い事は大きくなったり、難しくなったり——時に、叶わないと知りながらも捨てられない願いを、心の奥に秘めるようになるからかもしれない。
そして、そうこうするうちに、私たちは自分が心に描いていた願い事が何だったのか——それを忘れてしまう。
手が届かないうちにぼやけ始めたその思いを、手放してしまう。
そして気づけば、「願い事なんてないなぁ」などと、ちょっと笑って呟いたりしている。
そんなそぶりをすれば、世の中を渡ることに慣れたかっこいい大人に見えるのかもしれない。
でも——本当に、そうだろうか。
叶えたい願いを強く心に持つ。それは、歳を経ても忘れてはいけないことのような気もするのだ。
どんなに些細なことでも、大それたことでも。目指すものは何でもいい。
自分の叶えたい思いがある。それに向かって自分が歩いていることを実感できる。
そんなふうに日々を生きられたら、その一瞬一瞬はどんなに輝くだろう。
七夕の短冊に書く必要はない。
それでも、子どものように無邪気に、叶えてみたい願いを強く心に抱いてもいいのではないか。
その願いを目指して歩き始めれば、生きることは何倍も楽しくなるのではないか。
そう思う。
私も、胸が高鳴るような願い事を掲げてみよう。
願ふことひとつみつけて星今宵
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