ただの動物


 黒南風を獣のごとく睨みをり



黒南風くろはえ」は、梅雨の雨雲の垂れ込める暗く陰鬱な空模様の時に吹く、湿った南風を指す。

これに対し、梅雨明け後または梅雨の晴れ間に吹く南風は、「白南風しろはえ」。空が明るくなる印象を込めた季語。

「黒南風」は、夏の季語。





 梅雨が近づいている。


 室内にこもりきりでいると、季節の感覚がわからなくなる。

 一年中空調の効いた、一定の温度と明るさのオフィスや部屋。空の色を一切感じさせない、窓にべったりと張り巡らされたブラインド。


 本当は、そんな狭い空間で息を詰め、小さな画面にへばりついている生活は、動物として不自然極まりない。



 けれど——そのことに、私たちは簡単には気づかない。


 時には外に出て、じっとりと重い黒南風を感じ——獣のように、その憂鬱な姿を睨み据える。

 本能を動かし、生物本来の感覚を呼び戻す。

 それが、どれほど大切か。


 ——そんなことも忘れて、私たちは常に何かに追い立てられる。

 それこそが最善であるかのように。






 ハイパーな存在だと思い込んでるけど、人間もただの動物だ。

 動物という範疇からは、結局出られない。


 なのに。

 私たちは、自分が動物であることを、しょっちゅう忘れてしまう。



 朝から晩まで机に向かい、寝る時間や食べる時間を削り。

 太陽の光や空、雲や風に触れることもなく。

 ——閉じた空間の中、ひたすら脳だけをうまく使いこなせば、自分の生が回っていく。

 そう思い込んでしまう。



 そして、ある日我に帰り……ふと気づく。

 心と身体を支える何かが、崩れそうになっていることを。


 そこが崩れたら、自分そのものが崩れ去ってしまう——そんな、思ってもいなかった自分自身の脆さに気づかされる。

 自分も、そんな恐怖感に手も足も出ない動物の一個体に過ぎないことを、その時初めて思い知らされる。



 崩れそうにならないと、気づかない。

 ——太陽や空、風や雲。

 何も考えずただその中に立つことが、自分の心と身体に不可欠であるという、当然のことに。




 時には、野生の動物のように、脳をストップさせ……ただ風の音を聞き、木々の緑を見つめ……自分が人間であることを忘れてみる。


 そうしてみて初めて——決して手放してはいけない身体のリズムが、自分の奥底に波打っていることを感じる。





 人間は、特別な存在などではない。

 やはり、ただの動物だ。



 せっかく賢いのだから……

 人間は、最も肝心なそのことを、忘れてはいけない。






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