遠い日付
秋口の風の白さと薄さかな
「秋口」は、「初秋」の傍題。秋の初めの頃を指し、立秋を過ぎた陽暦の8月の候に当たる。2017年の立秋は8月7日。
まだ暑さは厳しいが、日差しや雲の色、風の音などに、少しずつ秋の気配が感じられる時期だ。
ちなみに、「立秋」の日より暦の上では秋となり、俳句においても秋の季語を詠む。
「秋口」は、秋の季語。
秋の入り口。
昼間の日差しはまだ元気一杯だが、朝夕に肌を撫でていく風は、驚くほどその色と熱を失っている。
金色の輝きと、ずっしりとした重み。しつこいほどの熱。
そんな夏の力に満ちていた風は、気づけばもうその表情を消し去ろうとしている。
しかし——
その風を、よく見つめる。
そして、気づく。
夏が表情を失っていくのではない。
その風は、決して色と熱を失ったのではない。
薄く軽く、白さを感じさせるその風は——次にやってくる季節の穏やかな匂いを、確実に運んでくる。
秋風は、夏の輝く日差しも、命の溢れ出すような蝉たちの声も、少しずつ飲み込んでしまうけれど——
輝く季節が過ぎ去った後の静けさの中にも、また違う幸せがある。そのことを、しみじみと味わわせてくれる。
止めようもなく流れていくその時々の中に——大切にしたい幸せが必ず潜んでいることを、感じさせてくれる。
時が流れていくのは、きっと、幸せなことだ。
遠い日付。
例えば、缶詰の賞味期限。
数年後など、驚くほど先の日付が印字されていたりする。
不意に示された、そんな遠い日付に……不思議に心が癒される時がある。
今、目の前に、何が立ち塞がっていても……
心に、何を抱えていても。
その日付の頃には、そんな苦悩もきっと過ぎ去っている。
何らかの形に、きっと落ち着いている。
そんな安らぎを、その日付は運んでくれる。
「遠い先を見ること」の安らかさ。
車の運転をする人は、それを実感として感じたことがあるかもしれない。
運転は、怖がって目の前を見つめ過ぎると、真っ直ぐに走れない。
コントロールが不安定になり、ハンドルを握る手が小刻みに揺れるのだ。
教習所で、私はこの悪癖に悩まされた。
ある日の教習で、横に座った教官が教えてくれた。
「近くばかりを見るから安定しないんだ。もっと遠くを見ろ——」
怖くてたまらなかったが——
教官の言葉を信じ、恐怖感をぐっと押し殺した。
そして、遠く視界の先へ視線を投げてみた。
その途端——何か世界が変わったように視線が落ち着き、ハンドルがふっと安定した。
そうしてみて、初めて気づいた。
目先の細かなことに気を取られ過ぎるのは、安全運転どころか、むしろ危険な行為ですらあったのだと。
そして——遠い先へ視線を向けた途端、ガチガチに固まった肩の力がふっと抜け……
周囲の風景が見え、明るい空が視界に入り——
その瞬間、初めて「運転って楽しい」と感じた。
恐怖感ばかりだった運転が、その時から俄かに心地よいものになったことを、鮮明に記憶している。
頭で理解したのではなく、全身で体感したイメージは、とても強烈なものだった。
肩の力を抜いて、遠い先を見る。
これは、自分自身の日々を歩くときにも、ダイレクトに使える技術かもしれない。
目の前の出来事ばかりをじっと見つめ過ぎては、恐怖感ばかりが大きくなる。
大局的なものが把握できず、ハンドルを適切にさばけない。
もしかしたらそれは——自分の大切な日々を、コントロールの効かない危険な運転で走っているのと、同じことかもしれない。
穏やかに、視線を上げる。
どんなことも、いつかは終わる。
永久に続く物事など、ただの一つもない。
良いことも、悪いことも。
——そして、時間は確実に、未来へのみ流れていく。
遠く自分の行く先を見て歩く。
そうしてみれば、今まで見えなかった道の両脇の風景や、空や風の色も——きっと心に流れ込んでくる。
何らかの結論を得てまた先へ進んでいるはずの、遠い日付に思いを馳せれば——今目の前で自分を苛む苦しみや痛みが、少しだけ小さく見える気がする。
できるならば——そんな穏やかな思いで、日々を歩きたい。
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