言葉という道具
姿なき金木犀に抱かれぬ
金木犀は、「木犀」の傍題。仲秋の頃に、白い小花を多数束生するのが木犀(銀木犀)。橙色の花をつけるのが金木犀である。いずれも開花すると強い芳香を放つ。秋の季語。
もう1週間くらい前だろうか。
街を歩いていると、ふと甘い香りに包まれた。
金木犀の香りだ。
全身が包み込まれるような量の香りが満ちているのだから——どこかに花があるはずだ。
きょろきょろと辺りを見回したが、その姿はどこにも見えない。
そういえば——この通りを一本中に入った道沿いの家々は、どこも立派な金木犀を庭に植えていたことを思い出した。
そのたくさんの木々に咲いた花の香りが、風に吹かれてここへ漂ってきたのだろう。
大きな香りの塊に包み込まれる。
形も色もなく——花の姿さえ見えないのに、こんなに安らかな幸せを与えてくれる不思議。
この時季、限られた期間にしか味わえない甘い幸せを、思い切り吸い込んだ。
心を惹かれる香りや色などに出会った時、その魅力を具体的に表現するのは、とても難しい。
香りも色も、無限に存在するからだ。
限りなく僅かずつ移り変わるグラデーション上のある一点を説明するなんて、ほぼ不可能だ。
そして、人の感情も、香りや色と似ている。
「気持ち」も、無限に広がるグラデーションの上を、常にふわふわと揺れ動いている。
自分の感情を、できるだけ正確に把握したい。
私たちは、常にそう考える。
でも——それを把握する手段として、私たちは「言葉」という道具しか持っていない。
言葉は、感情のグラデーションに比べ、遥かに目が粗い。
感情を正確な言葉で表現することには、どうしても限界がある。
だから——何と呼べばいいのかわからない感情に、私たちはしばしば戸惑う。
言葉とは、実は思ったよりずっと曖昧で不確かな道具なのかもしれない。
どうしても言葉で説明できない時は、感じたそのままを心に留めてみる。
「好きだ」とか「嫌だ」とか。
「心地よい」とか「不快」とか。
——そう呟いてみると、そんなシンプルな捉え方が、実は一番真実に近い気もしてくる。
もしかしたら——そう感じるだけで、充分なのかもしれない。
金木犀の香りに包まれる、あの幸福感も——どんな詳しい説明よりも、結局は「幸せだ」というひとことが、何よりその思いをうまく表現しているような気がする。
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