分析するアスリート
秋晴を走る呼吸を研ぎ澄まし
「秋晴れ」は、秋の季語。秋空が澄んで晴れ渡るこという。
秋晴れが多いのは十月から十一月で、何もかもが爽やかで明るい。
学生時代、長距離が得意だった。
いいペースに乗ると、長く走っても全く疲れを感じない。地面を蹴る足もリズミカルな呼吸も軽く、心地よく、無心に走るうちに何とも言えない恍惚感が訪れる。「ランナーズ・ハイ」というものだろうか。
一方で、コンディションが悪い時は、少し走っただけで腹痛や足の重さ、呼吸の苦しさに襲われ、前に足を出すのが地獄のように苦しい時もある。
心地よく、長く走るには、心身のコンディションを整えておくことが何よりも大切だ。
それはきっと、人生を走る時も全く同じなのだと思う。
分析が、好きである。
自分の思いを言葉に綴るようになって、初めて気づいた。
目の前の複雑な事柄や、もやっとした疑問等について、分析すること。言い方を変えれば、しつこくこねまわすこと。とかくこれが好きなようだ。
そして、自分が見立てた筋道から逸れる言動をとることには、自ずと「?」が出る。これは仕方のないことだ。自分の掲げたはずのポリシーを自分から逸脱するのは、疑問に思わないほうが寧ろ問題だ。
けれど。
冷静に分析し、自分の納得のいく見通しを立てたつもりになって、ふうっと正座してお茶を啜ってしまう。
それでいいのかな、と思うことが、時々ある。
生き方や、考え方を見通した気になって、「人生ってそんなもんだ」と、自分自身を冷めた目で眺める。
果たして、それでいいのか?と。
そう整理をつけてしまうのは、楽かもしれない。
けれど——
果たして、そこに「面白さ」はあるだろうか。
無謀なことに、がむしゃらになる。
不可能を、可能だと覆す。
ときにはそんな行動を思い立つのも、きっと人生には大切だ。
そういう時のために。
いつでも稼働できるエンジンや、思い切り踏み込めるアクセル。
走るに足るガソリン。
そういうようなものは、心身に持っていたい。
新たに目的を見つけたとき、そこへ向かって力一杯走れる力は、失わずにいたいと思う。
物を書き始めて、約四年になるが、書くことに向き合う思いは、少しずつ形を変えつつある。
最初は、たくさんの方が読んでくださるそのことが、天にも昇るほどに幸せだった。
苦労して書き上げた物語を、最終話まで読んでくださる方がいる。そのことが、信じられないほどに嬉しかった。
時が経つに従い、自分の中で何かが微かに移り変わる。
その上にある輝きに、果たして手が届くのだろうか?
そんな望みだ。
そう願ったと同時に、心に息苦しさが生まれる。
勝ちたい。勝たなければ。
そんなざわざわと尖った感情だ。
ただ——
そのために、書くことが「苦痛」に変化してしまうのは、私には恐らく耐えられない。
高い所にある目標へ向かって走るときに、本当に大事なものは、何か。
自分を走り続けさせるために必要なものは、何か。
長距離マラソンと一緒だ。
走る本当の理由をしっかりと見定め、簡単に膝を折らない心の持ち方を知り、うまくペース配分をして走らなければ、どこかで息切れがして、走りたくなくなってしまう。
そんな気がする。
目標を目指すのだとしても——
走ることそのものを、楽しいと感じること。
何よりも、自分自身の心を満たすために走るのだ、ということ。
自分が心から求めるものを探し、満足できる収穫を得ながら、走っていくこと。
自分の走る目的は、純粋にそんな理由でありたい。
自分自身が楽しく走るためには、周囲の雑音などいらない。
ただ自分の心だけに向き合い続ければ、それでいい。
物理的な目標とはまた別に、自分の心が求めてやまない到達地点がある。
両方を、心地よいバランスで見つめながら、とにかく楽しく走りたい。
物を書く人間であると同時に、強く逞しいアスリートでありたい。
自分の望み通りに走り続けるために。
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