第19話 老人と魔法

 ふと、目が覚めた。辺りは真っ暗だ。時間を確認すると深夜2時。夜明けにはまだ遠い。もう一度ベッドに横になるが、一度覚醒した眼は簡単に下がってくれない。


「……」


 千春はベッドから体を起こし窓の外を見た。曇っていて月も見えず本当に真っ暗だ。千春がいるのは学園内の学生寮である。ダイブン国王の計らいでほとんどの学生が相部屋の中、千春たちには個室が用意された。有難いことである。


 千春の脳裏に実技事業のことが思い出される。千春自身はそこまでダメージは無かったが、Sクラスの面々には迷惑をかけたかなと感じていた。それに加えて、本来の目的の「グルグル」の魔法の習得も目途が立たず、魔王がどんな能力かも分からない。こんなことでいつになったら現実の世界に戻ることが出来るのだろうか。


 千春は立ち上がり自室のドアを開けた。考えを振り切るように外に出る。外を散歩して気晴らしをすることしか解決策が見つからなかった。


 深夜2時の学園内は静かだった。千春はしばらく学園内を散歩して街灯のある中庭まで来るとベンチに腰を下ろした。


「……ん?」


 カサっと後方の茂みから音が聞こえた気がした。千春はさらに慎重に耳を澄ますとやはり聞こえる。わずかだが草木と布のこすれる音。こんな時間に誰かいるのだろうか。千春は音の主を確かめるために茂みの奥へ進むことにした。こんな時間である。不審者の可能性も十分にある。慎重に音をなるべく立てないように茂みの中を進む。


「……あれは?」


 茂みの奥に少し拓けた場所があり、ランタンが一つ木の枝にぶら下がっている。その明りに照らされて動く影が一つ。なにやら印をつけた気に向かって手を伸ばしたり、屈んだりしている。その顔に千春は見覚えがあった。


「こんな時間に何してるんだぽんぽこ?」


「ひええええええ!!」


 背後から声を掛けると影の主、マリンはまるで幽霊にでも遭遇したかのように悲鳴を上げた。


「な、なんだ千春、脅かさないでくれないかな」


「お、おう。すまんそんなに驚くとは思わなかった。何してんだこんなところで」


「何って、魔法の訓練だよー。ちょっと眠れなかったんだ」


 見るとマリンの足元にはページが開きっぱなしの魔導書がある。時折屈んでいたのはこの本を読んでいたらしい。


「何もこんなところで隠れてやらなくてもいいんじゃないか?」


「僕たちSクラスが練習するところなんてこの学園にはないんだよ。まあ、この時間ならどのみちどこの施設も使えないけどね」


「……ずっと思ってたんだが、なんでSクラスのみんなはこんなに不遇の扱いを受けてまで学園にいるんだ?嫌になるだろ普通」


 千春は疑問に思っていたことを伝えてみた。ここ数日、千春は学園で暮らしているがSクラスだけ扱いが酷すぎると感じていたのだ。


「……千春にはさ、このダイブン国ってどう思う?」


 いきなり答えではなく質問で返され多少面食らう千春。しかし、そこは素直に考えてみる。ダイブン国は千春が見る限り、豊かな国だと思っていた。商業も活気があるし、魔法の発達のおかげで便利なものも多い気がする。恐らくダイブン国王の裁量が優れているのだろう。シュラ国王は住民を生贄にするようなクズだったのでその点大違いである。


「豊かでいい国だと思うけどな」


「そう、豊かなんだよ。でも、それは一部の人間だけなんだ実は」


「一部?」


「うん、千春はまだこの国に来て間もないから分からないと思うけど、ダイブン国は魔法技術が発達しているおかげで魔法使いにとってはとても住みやすい国だけれど、裏を返すと魔法使い以外はかなり住みづらい国なんだよ。魔法が使えない人間には人権がないと言ってもいい。将来裕福に暮らしていくにはこの国では魔法使いか医者になるしかない。だからこの国では皆必死になって魔法を学ぶんだよ。このウェノガ魔法学園はダイブン国で一番の学校で、ここを卒業すれば将来は安泰だと言われているんだ。だから例えSクラスだったとしてもみんな何とか食らいついていくわけなんだ。どれだけ嫌な思いをしたとしてもこの学園を卒業することが何より大事だからね」


 千春はマリンの話を聞いて、なんだかちょっと昔のインドみたいな国だなと思った。


「なんかヘヴィーな話だな。しかし、何でSクラスのみんなが辞めないのかは分かったよ。ちなみに魔法使いになれなかった生徒はどうなるんだ?」


「魔法使いになれなかった生徒は大体国を出るか、一般人として工場勤務とか。実は街の南側にスラム街があって最終的にそこに落ちぶれる人も少なくないかな」


 なんという格差社会だろうか。それなら皆必死に勉強する理由も分かる気がする千春であった。


「ということはぽんぽこも人権を得るために魔法使いを目指しているってことだな?」


「そうだね、半分は正解かな。僕たち獣人族はただでさえ迫害されやすい種族だからね。僕が魔法使いになることで両親を安心させてあげたいって気持ちはあるよ。ただ、それよりも何よりも僕は魔法が好きなんだ」


「魔法が好き?」


「うん。小さいころからね。僕は魔法に強いあこがれを持っていた。いつか、魔法を自在に操れる大魔法使いになりたかったんだ。そして、僕の目標は究極無属性魔法『ATYOS』を習得することなんだよ」


「『ATYOS』?」


 究極なんちゃらとかいう中二病臭いワードは知らなかったが、その『ATYOS』とかいうワードは聞き覚えがあった。はて、どこで聞いたかと千春は頭の中を探ってみる。


「『ATYOS』は無属性魔法の中でも最強の魔法だと言われているけど、まだ誰も見たことが無い伝説の魔法なんだ。古い文献に少し出てくるだけでどうしたら習得できるのか、効果は何か、発動条件など、全てが謎の大魔法。過去偉大な魔法使いがその魔法に辿り着こうとその身を削って研究してきたけれど、まだ何も分かっていないんだって。全ての魔法使いにとっての憧れの魔法なんだ」


 魔法の話をするマリンは饒舌でとても楽しそうであった。それを見て千春は本当に魔法が好きなんだなあとしみじみ感じたのである。


「ふぉっふぉ、なるほどのう。究極無属性魔法『ATYOS』か。大きく出たのものよのう」


 千春もマリンも全く気付かなかった。いつの間にか二人の間に千春の半分くらいの大きさの老人が立っていた。魔法使いが良くかぶるような大きな紺色の三角帽子に足まで隠れるローブ。見た目は完全に魔法使いだった。


「うぃー、ひっく」


 しかも相当酔っぱらっていた。


「お爺ちゃん、ここは関係者以外立ち入り禁止だよ。酔っぱらって迷い込んじゃったかな?」


「なにをー、わしは酔ってなどおらんわい!酒にまで馬鹿にされてたまるかい。わしはカワイ子ちゃんのお店にいってパフパフするんじゃい!」


 完全にただの酔っ払いであった。


「はいはい、じゃあ私が出口まで案内してあげるから」


「年寄り扱いするでない!わしはこれでもこのウェノガ学園の卒業生じゃぞ!お前たち在校生じゃな。わしは言わば大先輩じゃ。もっと敬わんかい」


「え、お爺ちゃんここの生徒だったの?」


 驚いたことに老人はこの学園の卒業生らしい。本当かどうかは分からないが。


「それより、そこの小娘。先程面白いことを言っておったな。究極無属性魔法『ATYOS』を習得したいと。これまで名だたる魔法使いの誰もが一度はその頂きに挑戦し、誰も成しえなかった偉業を」


 それを聞いた途端マリンは恥ずかしそうに「それは……」と口ごもる。気持ちは分からないでもない。まだ初級魔法すら使えない落ちこぼれクラスの生徒が何を寝ぼけたことを言っているのかと言われても仕方がないからであろう。


「いやいや、恥じることはない。むしろ気に入ったのじゃ。その高い志、例え分不相応だったとしてもわしは笑うまい。そして、なにより魔法が好きと言うことも気に入った」


 一転して、老人はマリンを褒めまくった。何やら変わり者の爺さんであることは間違いないだろう。


「いいだろう、このわしが直々に指南してやろう。毎日放課後にこの場所に来るがよい」


 いきなり何を言い出すかと思ったらこの老人、マリンの指南役を引き受けてくれるらしい。突然のことにぽかんとしてしまうマリン。どこの誰かは分からないが出で立ちからして熟練の魔法使いだろうし、腐ってもここの卒業生であれば無能と言うことはないだろう。


「……いいの?」


「うむ、ちょうどかの有名な勇者パーティを追放されて暇じゃったしの。まあ、報酬はきちんともらうが」


「報酬って言っても僕お金なんて持ってないよ」


「ふん、金など要らぬわ。そうじゃな……」


 そう言うと老人はマリンの体を上から下までじっくりと眺めた。それはとても厭らしい目つきであった。千春もこの世界に来て初めてこのじじい逮捕した方がいいんじゃないかと思ったほどである。


「な、嫌だよ!どうせおっぱい見せろとか揉ませろとか言うんでしょ!」


 マリンは老人の視線に気づくと手で胸などを隠す。しかし、普段ローブ姿なので分かりづらいがマリンもとても良いものをお持ちである。さすがにアシュリーには勝てないが。


「ふん、勘違いするな。わしは服の上からどんな形か色か感触かを想像するのが楽しいんじゃ。見てしまったら台無しじゃろうが。わしは小娘が訓練しとる姿をその斜め後方から勝手に眺めとるから気にせず励むのじゃ」


「……、気持ちわる」


 マリンは感情のない瞳でそう言った。千春もマリンのその意見には素直に同意した。この老人変態だと思っていたが、ただのド変態のようである。


「まあ、良い。指導を受けるかどうかはそこの小娘が決めたら良い。ではな」


 そう言うと老人はあっさり帰っていった。まるで嵐が去った後のような気持ちの二人はしばらく呆気にとられ立ち尽くす。


「……僕どうしたらいいのかな?」


 指導を受けた方がいいとも、受けない方がいいとも言えない千春は「う~ん」と困ったように唸るのだった。

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