第24話 昔話3

 赤く染まる夕日に長く長く伸びる影。時折揺れるのは気まぐれなブランコのせいか。

影の主は俯いてばかり、地面に突き刺さったその小さな足先はただただブランコを揺らすだけ。永遠にそこから動かないような気配すら感じさせた。


 そこにより長い影が近づいていく。


「こんにちは、お嬢ちゃん」


 ブランコの少女が幸福だったのは声を掛けたのが警察官だったということだった。警察官の青年は優しく声を掛けるが少女は一瞬顔を上げてすぐに俯いてしまった。


「そろそろ帰らないとお母さんが心配するよ」


 公園には既に人影は無く、ちょうど18時を告げる音楽が流れ始めた。寂しげな音楽に乗せて良い子はお家に帰ろうと歌っていた。


「ほら、良い子はお家に帰ろうって言ってるよ?」


「……」


 声を掛けても少女から返事はない。警察官の青年は少女に目線を合わせるようにゆっくりとしゃがんだ。歳は7,8歳と言ったところか。


「家に帰りたくないの?」


「……」


 いくら聞いてもイエスもノーも発しない。


「あ、」


 その時青年は少女の髪に大きな白いゴミが付いていたのが目に入った。


「!!!」


 異常なほどの防衛だった。青年がゴミを取ってあげようと伸ばした手から身を守るように少女はびくっと体を震わせた。


 その上げた二の腕に大きな痣があるのを青年は見逃さなかった。


「……その痣は?」


 少女はよほど恐ろしいのか、焦点の合わない瞳で体をがたがたと震わせた。よく見ると白い大きなゴミと思われたものは大きなフケだった。髪に艶は無く、体は異常に細い。青年の中ではほぼ確信していた。虐待であろう。


「……ほら、これ食べな」


 青年は昼に食べなかったあんパンを少女に差し出した。知らない人からは受け取らないかと思われたが、意外にも少女はゆっくりとした動作でそれを受け取った。


「いいの?」


 青年は笑顔で頷く。それを見た途端少女は勢いよくあんパンに食いついた。よほどお腹が空いていたのか、その小さな口で良くそんなに早く食べれるなと青年は驚いていた。


「俺の名前は竹田千春って言うんだ。お嬢ちゃんの名前はなんて言うのかな?」


 少女があんパンを食べ終わるのを見計らって話しかける。


「……ひな」


「ひなちゃんか。とても可愛い名前だね。ひなちゃん、俺は警察官なんだ。警察官って分かる?」


「悪い人を捕まえる人?」


「そうだね、それも俺の仕事だ。でも、俺の一番の仕事は守ることなんだよ」


「守る?」


「そうだよ、だから守ることが得意なんだ。そして一番得意なのは約束を守るということなんだ。約束は必ず守る。ねえ、ひなちゃん。誰にも言わないって約束する。その痣は誰に付けられたものなのか教えてくれないかな?」


 それを聞いてひなは少し躊躇ったがゆっくりと口を動かし始めた。


「ぜったいに言わない?」


「もちろん」


「……おかあさんが違う男の人を連れてきたの」


「それはお父さんと違う男の人ってこと?」


 ひなは頷く。


「じゃあ、その痣はその男の人に?」


「その男の人はひなが何もしなくても蹴ってくるの」


 どうも、母親の不倫相手に暴行を受けているようだ。千春はあまりの怒りの感情に一瞬眩暈がした。しかし、千春は別に気になることがあった。


「その男の人は何もしなくても蹴ってくるんだね。お母さんは何かすると叩かれたりするのかな?」

「……」


 ひなはさらに言いにくそうに口を閉ざす。それはもう肯定と同じだった。この状況では最悪母親すらも虐待に関わっている可能性すらある。


「ねえ、ひなちゃん?俺と一緒にお家に帰らない?大丈夫お父さんとお母さんには俺から怒らないようにお願いしてあげる」


「……本当?」


「もちろん」


 ひなの家は目の前のアパートの一室だった。歩いて数分で着いてしまった。ひなが「ここ」と指さした部屋には明かりがついていた。チャイムを探したが付いていないようだった為ノックをして呼びかける。


「……はい?」


 いかにもキャバクラ嬢という女性が出てきた。


「夜分にすみません。私、〇△署の竹田と言います」


「はあ、警察がなんの用でしょうか」


 千春の警察手帳を見て母親は訝しげに眉をひそめた。


「実はそこで娘さんを保護しまして、もう遅いので送り届けようかと」


 そこで母親は視線を落としひなを見た。


「そうですか。それはどうも」


 母親は無言で乱暴にひなの腕を引き部屋の中に入れると早々にドアを閉めようとした。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 千春は間一髪閉まるドアに右足を突っ込んだ。


「何ですか、まだ何かあるんですか?」


「少しお話を聞かせてもらえませんか?ひなちゃんのことです」


「また今度にしてもらえないですか?私この後仕事なんで忙しいんですけど」


 とても話を聞いてもらえる状況では無かった。


「分かりました、では一つだけ。ひなちゃんを怒らないであげてください。わざと遅くなったわけじゃないんです」


「はいはい、分かりました。じゃあもういいですね」


 最後は問答無用で締め出される千春。この後千春は署に戻って児童相談所に連絡し、相談員が何度か追い返されている事実を知った。すぐに千春は上司に相談し翌日その上司とその家を訪ねる段取りを整えた。


 ひなが幸福だったのはその日警察官に見つけてもらえたことで、不幸だったのは彼女に明日が来なかったことだった。

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