第10話 妹と妹と妹
竹田千夏は職員室で次の授業の準備をしていた。準備と言っても一日の授業の大まかな準備は前日に終わっているので机の上に出すくらいの準備ではある。しかも今は昼休み中なので次の授業まであと30分以上ある。
「竹田先生」
ふいに声を掛けられる。千夏が振り向くと数学担当の中本先生がいた。
「生徒が呼んでますよ」
千夏がそう言われて職員室の入り口を見ると大島優が立っていた。
「中本先生ありがとうございます」
千夏は中本先生にお礼を言うと優の元に向かう。
「どうしたんですか?大島君」
「竹田先生ちょっと、話があるのですが……」
少し言いにくそうにしている優を見た千夏はすぐに場所を移そうと決めた。
「大丈夫ですよ。生徒指導室でいいですか?」
「……はい」
千夏はいつも生徒たちの話を聞いている指導室に優と移動する。
「コーヒーと紅茶はどっちがいいですか?」
「ありがとうございます。コーヒーをお願いします」
千夏はコーヒーと自分の分の紅茶を手早く入れると優が座っているソファの対面に座る。
「ありがとうございます。実は竹田先生のお兄さんのことなんですが……」
千夏は優のその言葉にコーヒーカップを運ぶ手が一瞬止まる。
「お兄さん、千春さんが現実世界に戻るにはやはり自分自身と向き合うしかないと思います。俺も恩人の千春さんの力になりたいと思っていますが……」
今はゲームの中で宿屋の一室に閉じ籠ったまま出てこない状況である。もちろん千夏も優もドア越しに何度も声を掛けたが反応がなかった。今のところ打つ手なしということろであった。
「一体千春さんの過去に一体何があったんですか?記憶が戻った後の千春さんはまるで……」
確かに千夏としてもびっくりしていた。千夏の知っている兄はいつも明るくて行動力のある自慢の兄だったのに、まるで今は別人のようである。
「残念ながら私も兄さんの過去については詳しく知りません。ただ、本人にとってとてもつらい事があったと思います。私もあんな兄さんを見るのは初めてです」
「……そうですか」
千夏と優はそろって項垂れた。二人とも千春を何とか救ってあげたいという気持ちはあるのだがどうしようも出来ない現状が重くのしかかっていた。
「今は待つしかないかもしれませんね……」
千夏はそう呟くと窓の外の桜の木を見る。まだ寒い。つぼみが出るのはまだ先のようだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「んーー!」
千冬は勉強机の前で大きく伸びをする。千冬はふと壁に掛かった時計に目をやると既に2時間過ぎていたことに気がつく。飽きっぽい自分にしてはなかなか集中できたと千冬は満足げに頷いた。
「休憩休憩っとー」
千冬は席を立ち一階のキッチンに向かう。好物のココアでも入れようと思ったのだ。
「……あれ?」
一階のリビングに行くとソファに誰か座っていた。父親は仕事だし、母親は買い物に出かけている筈だから家には千冬しかいないはずなのだが。
「おや、千冬ちゃんじゃないか。元気だったかね~?」
「千秋ねえ、帰ってたの?」
それは千冬の姉の千秋だった。今は東京の方の大学に通い一人暮らしをしている。読者モデルなんぞやってるくらい容姿は整っている。ひそかに千冬は自慢に思いながらも姉妹でこうも違うものかと思わないでもなかった。
「そりゃ、帰るさ。冬期休暇だからね。父さんと母さんは?」
「父は仕事、母は買い物だよ」
「ふーん、千冬ちゃんは何してたの?」
「私は受験勉強だよ。受験生だからな」
「そっかそっか、千冬ちゃんはどこの大学行くの?」
千秋は遠慮なくガンガン質問してくる。
「私は市内の大学かな。センターがどうなるか次第だけど」
「まあ、そうだよね~。でももうすぐじゃん。がんばれよお~」
「……千秋ねえは大学楽しそうだね?ココアで良いか?」
千冬はお気に入りのドラゴンの柄の入ったマグカップを棚から取り出しながら千秋の分のカップも同時に用意する。
「お、気がきくねえ。そうだねえ、高校とは違うから楽しいことも多いよね。それに最近はインターンシップにも参加してるんだけど、これがなかなか楽しいんだよね」
「インターンシップ?それって職業体験のことだろ?千秋ねえまだ大学2年じゃなかったっけ?」
千冬は千秋の分のココアを持ってリビングに戻ると千秋にココアを渡す。
「ありがと。ちっちちだよ千冬ちゃん。最近は2年生でもインターシップに参加する人多いのだよ。それに今回私が参加してるのは実践型インターンシップっていってただの職業体験じゃなくて、人材不足などで困っている地方の企業さんのプロジェクトに参加して課題を解決する目的があるの。だから企業さんも私たちのことをメンバーの一人として扱ってくれるんだよ。千冬も大学行ったら絶対やった方がいいよ!」
「……へえ」
とりあえず相槌を打っておく千冬。正直よく分からなかったが実の姉が楽しそうなのは何よりである。
「今回私は九州のとある田舎の旅館のプロジェクトに参加しててね、女将さんが雪村笑子さんっていうんだけど。この人がすっごくいい人なの。めっちゃ褒めてくれるし、優しいし、あとゲームが趣味だから話も合うし……」
「へえ、そりゃよかっ……?ちょっと待ってくれよ、雪村笑子?」
千冬はいきなり予想外の名前が出てきて一気に頭が覚醒した。そう、兄千春の元彼女の名前も確か雪村笑子ではなかったかと千冬は思う。同姓同名の別人の可能性もあるが、そんなに多い名前ではないように感じる。
「……?雪村さんがどうかした?」
「いや、何でもない」
そして何より雪村笑子はとっくに死んでいるのだ。それはあの弟を名乗る男から聞いた話である。千冬は別人だろうと結論付けた。
「それより千春お兄いないの?やっぱ警察官って正月も仕事で忙しい感じ?」
「……え?」
その時千冬は千秋が千春の入院のことを知らないことを知った。ずっと東京の大学にいたので知らないのは当然である。恐らく両親も余計な心配をかけないようにわざと千秋に言わなかったのだと千冬は容易に想像がついた。しかし、実家に帰省してきておいてごまかす必要もないだろうと千冬は千秋に真実を告げる。
「実は半年前くらいから入院してるんだよ。今は昏睡状態でいつ目覚めるか分からない」
「……は?え、……それ何の冗談?」
千冬は知っている限りの情報を利秋に伝えた。千秋は基本明るく元気が取り柄だがこの時ばかりは沈んだ表情を見せた。さすがに慕っていた兄がそんなことになっているという事実はかなりショックだったようである。千冬もその気持ちはすごく分かる。
「……まじか。そんなことになっていたなんて……」
千秋は千冬からあらかたの経緯を聞くとショックを隠せないといった感じであった。
「でも、おかしいな?私さっき駅で千春お兄見たがするんだけど?」
「……え?」
それは千冬にとっても驚きの一言だった。
「そんな筈ないだろ。だって兄ちゃんはずっと病院のベッドの上なんだぜ?」
「そ、そうだよね?やっぱ見間違えかなあ……?声かけようとしたけどすっといなくなっちゃったんだよね」
千秋は不思議そうに首を傾げるのだった。
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