第9話 イレギュラー

「……ふぅ」


 立ち上る湯気の中冷えた体にかけ湯をして湯船につかると心まで溶けてしまうのではないかと思うぐらいの気持ちになるだろう。そこから自然と出る吐息は幸せのため息と言ったところか。


「……」


 足立美桜は顔半分を湯船に鎮めると口から気泡をぶくぶくと吐き出す。気泡と共に美桜の頭に浮かび上がってくるのは幼馴染の原田悟のことであった。美桜と悟が一番最初に出会ったのは1歳の時である。といっても美桜自身もその時のことは覚えていない。記憶があるのはせいぜい幼稚園ぐらいである。美桜にとっては夏休みなどの長期休みの時に帰ってくるお隣さんの男の子という認識が強かった。悟は昔からインドア派でゲームは上手いが追いかけっこや木登りなどはからっきしダメで、美桜の方が抜群に上手かった。美桜は嫌がる悟を無理矢理連虫取りなどに連れ出していた。いい思い出である。


 そんな悟も小学校5年生、美桜は6年生である。


「全く、悟のやつは……」


 悟の母親から悟のことをよろしくねと美桜は頼まれている。どうにもその母親の話を聞くと悟は勉強こそちゃんとしているものの、放課後はずっとゲームばかりしているらしい。友達の一人もいないのではないかと心配しているようだ。


(なあ、美桜。ゲームの中のキャラクターを本気で好きになったことあるか?)


 美桜の頭の中に悟のセリフがよぎる。あれは一体どういうことなのか、美桜は不思議に思っていた。


「美桜――!いつまで風呂入ってるんだ?いい加減でねーと後がつかえてるんだぞ」


「げっ!おにい!入ってこないでよ!」


 美桜は突然の兄の声に目掛けて洗面器をぶん投げる。


「うおい!脱衣所のドア開けただけだろ?!すりガラスが割れるだろうが!」


「うるさい!もう出るから出てって!」


「へいへい」


 兄が出ていったのを確認すると美桜は湯船から上がる。


(結婚したい……とか?)  


 ゲームの話なのに何故結婚の話が出てくるのか美桜には分からなかった。


「(……まてよ)」 


 そこで美桜は少し考えてみる。最近のゲームにはフルダイブ型の没入感がすごいゲームが沢山あるという。それでゲームの世界にハマって廃人になってしまう人が多数いて社会問題になっているというニュースを美桜は見たのを思い出した。


「……まさか」


 美桜はどんどん悪い予感が強くなっていった。もし、悟がゲームの中の女の子キャラクターを本気で好きになってしまったとする。するとどうだろう。恐らく悟はゲームにもっとのめり込むようになるだろう。廃人になって悟の母親が悲しむことになるかもしれない。それは非常にまずい。なんたって結婚とか言いだす始末である。美桜はそこまで考えが進むと青ざめてしまった。


「でもどうしたら……」


 だからと言って直接悟を説得したとしても今日の図書館のように逃げられるか避けられるかである。どうにかして悟の目を覚ます方法がないものかと考えた美桜の頭の中に悟が落としたであろうあのノートが思い浮かんだ。


「……!」


 美桜は飛ぶように風呂場から出ると猛スピードでバスタオルだけ体に巻いて脱衣所を飛び出した。


「あ、美桜!何ですかその恰好はだらしない!ちゃんと服着なさい!」


 リビングを横切る時に母親からお小言を貰うが美桜は全く意に返さずまっすぐに自分の部屋に飛び込んだ。そして自分の部屋の机の上にあるのはあの悟が落としたノートである。


 インフィニットオーサー【ATYOS】設定


 そう書かれたノート、美桜はこのノートが悟がやっているゲームに関係があるのではと睨んだ。はっきり言って美桜はあまりゲームには詳しくない。しかし、すぐ近くに詳しいやつがいることを美桜はもちろん知っていた。


 美桜は隣の兄の部屋の扉をノックもせずにぶち開けた。


「おにい!!」


「うお!!何だよ美桜!げ!何だよその恰好は……ちゃんと服を着ろ!!」


「そんなことより!インフィニットオーサーってゲーム知ってる!?」


 驚く兄をガン無視して質問する美桜。


「インフィニットオーサー?知ってるも何も持ってるよ」


「持ってるの!?貸して!」


「別にいいけどよ、なんでこんなクソゲー……って、おい!」


 美桜は兄が話している途中でゲームをひったくるようにして奪い取ると自分の部屋に戻る。そう、美桜が考えたのは現実世界で話を聞いてくれないならゲームの世界の中で説得することであった。これが美桜が考えた精一杯の手段であった。


 美桜はヘッドギアを装着して早速ゲームを起動する。するとタイトルが出てきてモードを選択する画面になる。


 クリエイションモード

 プレイモード

 オプション

 エンド


 そんな感じに並んでいる。美桜はよく意味が分からなかったがとりあえずプレイモードを選択した。


――プレイするゲームを選択してください――


 すると実に様々なゲームタイトルが出てきた。これは美桜にとって予想外であった。ある程度カテゴリ化はされているもののタイトル自体は全て合わせると1000は超えていた。美桜は困った。これでは何をしていいのか全く分からない。


「おにい!」


「うお!」


 美桜は一旦ゲームを終了すると再び兄の部屋の扉をぶち開ける。


「何あのゲーム!?なんであんなにタイトルが一杯あるの!?」


「……お前知らないでやろうとしてたのかよ。そりゃそうだろ、あれはゲームを作るゲームだからな」


「ゲームを作るゲーム?」


 美桜兄は呆れたというようにため息を吐いて読んでいた漫画をベッドに置く。


「そうだ、あのゲームは好きなように自分オリジナルのゲームを作ってネット上にそれアップして世界中のユーザーがそれをプレイできることを売りにしているゲームだからな。お前が見たのは世界中の人が作ったゲームだってことだ」


「……そんな、それじゃあ悟がやっているゲームがどれかなんて……」


 普通に考えて一つ一つ手当たり次第に探していくのはほぼ不可能である。かなり絶望的な数字である。


 しかしここで美桜の頭に一つのひらめきが浮かぶ。


「俺も小説の才能なんて無かったからな。もっぱらやる専門だったが、結構当たりはずれがあってだな……っておい!」


 またもや兄の言葉の途中で美桜は勢いよく扉を閉めて自分の部屋に戻る。そして美桜が手にしたのは悟が落としたノートのタイトルにあった【ATYOS】という謎の文字。美桜は再びゲームを起動すると今度は検索画面で【ATYOS】と入力してみた。


「……あった」


 驚くべきことにノートに書かれた文字を入力すると1件のゲームがヒットした。


「この中に悟が」


 美桜は早速ゲームをプレイしようとする。


「え?なに?パスワード?」


 ゲームを起動しようとするとパスワードを求められた。一瞬面食らう美桜だったが心当たりがある。またもや一旦ゲームを終了し美桜は悟のノートのページをめくった。


「あったパスワード」


 パスワードはあっさり最初のページで見つかった。美桜は再びゲームに戻り再度パスワードを入力する。


――……⁎⁎⁎⁎⁎⁎⁎⁎確認しました。ワールドへのアクセスを開始します――


青い光が一斉に走り出し、真っ白な光に視界が支配される。


「……私がしっかりしなきゃ。悟の目を覚まさせないと」


 美桜は強く決意するのであった。

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