第18話 綻び

「はああ~、……ふう」


 お昼休み。竹田千夏は職員室で一際大きなあくびをする。途端にはっとして辺りを見回す。幸運にも千夏を咎める教師はいなかった。ここに藤堂教師がいたなら人生の貴重な15分という時間を説教で失うことになっただろう。


 眠たいのには理由がある。ただでさえ教師は多忙な職業。それに加えて最近は夜にゲームの中でも教師のようなことをしているのだ。自分でも何やってるんだろうとは思っている。しかし、やらざるをえないというか、自らゲームをすることを選択しているのにはこれにも理由がある。 


 ゲームの中に千春がいたからである。


 実際千夏自身もいまだに半信半疑なところはある。しかし、千夏自身あれは千春だという直感はあった。20年以上妹をしているのである。雰囲気というかオーラというかとにかくそういったものが兄そのものだった。千夏は兄に恩義を感じているので兄が困っているのであれば手伝わないわけにはいかないのだ。


「……あのー竹田先生」


「ひゃい!」


 突然背後から声を掛けられて千夏は変な声を出してしまった。


「す、すみませんそんなに驚かれるとは思わなくて……」


 振り返るとそこには女子生徒が立っていた。背は低めでポニーテール。テニスとかやってそうな雰囲気である。


「いえ、こっちこそごめんなさい。オーバーに反応しちゃって」


「私、1年B組の坂梨聡美って言います。竹田先生にちょっと相談があって」


 坂梨という生徒の顔は暗い、これはそこそこ重めの相談だと感じた。


「そうなんですね、分かりました。では個室に行きましょうか」


「はい……」


 千夏は聡美を気遣って別室に移動することにした。ちょうど職員室の隣の生徒指導室が空いていたのでそこに案内する。


「坂梨さんお昼ご飯は食べましたか?」


「あ、はい。食べました」


「では、食後の飲み物は何がいいですか?紅茶とコーヒーしかないですが」


 千夏は生徒の相談を受けることがしばしばある。なので、こういったことには多少慣れている。いきなり本題に入らずに飲み物を出すのも千夏なりのアイスブレイクだった。


「ありがとうございます。では紅茶をお願いします」


「はい、ちょっと待ってくださいね」


 千夏は手慣れた様子でお茶の準備をする。


「坂梨さんは何か部活をやっていますか?」


「あ、はい。私は弓道部に所属しています」


「へえ、弓道ですか。カッコいいですね。ずっとやられていたんですか?」


「いえ、高校からです」


「そう、でもこの時期は暑いから大変じゃないですか?」


「確かに弓道場は外ですし、熱いです。でも、最近になってやっと一年生は的前に立って練習できるようになったので嬉しいんです。なので今は暑さ以上に弓道が楽しいですね」


 千夏は聡美の笑顔が見られて少しホッとする。そこでちょうどお茶が入り、千夏は二人分のティーセットを持って聡美の対面のソファに腰を下ろした。


「それで竹田先生に相談したいことなんですが、同じクラスの大島優っていう男子生徒のことなんです」


 おや、これは恋バナかなと千夏は思うが何も言わず先を聞くことにする。実際、高校生を相手にしていると恋愛関係の相談も結構あるのだ。


「実はこの大島優は家も近所で昔からの幼馴染でして、小中高と一緒の腐れ縁なのですが、最近様子がおかしいんです」


「……様子がおかしい?」


 どうやら恋バナではない様子である。


「はい、それが最近すごく元気がないんです。顔とか体にもあざが増えて、なんていうか覇気が感じられないって言いますか。部活が厳しいとは聞くんですけど、いままでこんなに元気が無いのは初めてで……」


 確かに部活をしていれば若干怪我もするし、あざになることもあるかもしれない。しかし、元気がないと言うのは千夏も気になった。


「その大島君が所属している部活は何ですか?」


「剣道部です」


 それを聞いた瞬間千夏は藤堂教師の顔が思い浮かんだ。


「優は剣道が大好きで小学生の頃からずっとやってました。私は楽しそうに剣道をしている優をずっと見てきたんです。確かに優はどちらかと言うと大人しい性格ですが、あんなに元気がない優は見たことがありません。私は優に元気になってほしいんです」


「そうなんですね。それは本人には伝えましたか?」


「それは聞きました。大丈夫?辛くない?と。そしたら優は『今は仕方ない。耐えるときだから』って言うんです。私は正直藤堂先生の指導が度を越えているんじゃないかって思ってます。今まであんなに毎日あざをつくるなってこと一度もなかったのに……」


 そう言って聡美は俯いてしまう。実際、藤堂教師には体罰の噂がある。それは実際に練習光景を見た人たちがそう話しているからなのだが、藤堂教師は全国大会出場などの結果もしっかり出しているので問題になっていないのだと千夏は考えていた。


「分かりました。それなら私の方でその大島君と藤堂先生に個別に話を聞いてみます。安心してください、坂梨さんの名前を出すようなことはしませんから」


 それを聞いた聡美はパアっと笑顔になった。


「ありがとうございます竹田先生!」


 よほどその大島という生徒が心配だったのだろう。聡美は一気に元気になった。


「ところでどうして私に相談しようと思ったのですか?」


「それは……」


 聡美は口ごもる。そこで千夏は失敗したと思った。そう、確か1年B組の担任は藤堂一だったはずである。それなら担任に相談など出来るはずもない。


「ごめんなさい。変なこと聞いてしまいましたね。忘れてください」


「いえ、大丈夫です。確かに担任に相談できないということもありましたが、竹田先生に相談したのは剣道に詳しいと聞いたからなんです」


「え?」


 いったいどこからの情報だろうかと千夏は考える。実際千夏は剣道などほとんどやったことが無い。小さいころ兄である千春がやっているのを真似して少しかじった程度だ。確かに千春はべらぼうに剣道が強かった。団体でも個人でも全国優勝を何度も経験している。ふと、千夏は思い出す。確かに練習は大変そうだったが千春は一度も剣道が嫌だとか辞めたいと言ったことは無かった。いつも楽しそうに練習に行っていた気がする。聡美の幼馴染に元気に楽しく剣道をしてほしいという願いに千夏は凄く共感した。


「残念ですが、私自身はそこまで剣道の知識はないんです。ルールくらいは分かりますが。……大丈夫、私がきちんと話しますから」


 そうは言ったものの、千夏はどうしたものかと内心頭を抱えていた。ただでさえ千夏は藤堂教師が苦手である。そして、藤堂教師に逆らえる教師はこの学校にはいない。こんな時、兄千春なら一体どうするだろうかとふと千夏は考えるのであった。

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