第2話 閉ざされた心
「……そっか、やっぱりにーちゃんも聞いてたんだな。笑子さんが亡くなったっての」
日曜日の昼下がり、千夏は妹の千冬に電話をしていた。
「やっぱりって、千冬は知っていたんですか?」
今の状況について千冬に相談するつもりだっだ千夏だったが予想外の反応が返ってきた。
「ああ、そうなんだよ。たまたまにーちゃんの病室に行ったときにスマホを見つけてさ。にーちゃんがもしかしたら元彼女の雪村笑子がキーワードかもしれないとか言うからダメもとで見たらその元彼女の住所が載っててさ。それで行ってみたら雪村笑子はいなくて代わりにその弟が出て雪村笑子は死んだとか言うからさ。しかもお前の兄貴にも言ったとか言うし。どういうことなんだろうって思ってたな」
「なんでそんな大事なことを黙ってたんですか?」
千夏は少し怒っていた。そんな重要な情報を赤の他人ならまだしも協力を仰いだ実の姉ぐらいには伝えてほしかったと千夏は思う。
「う、ごめんって。VRゲーム機は既に発送しちゃってたし、にーちゃんはまだ肝心なことは忘れたままだったしさ。話題が話題だけに言いだしづらかったんだよ……」
ばつの悪そうな声がスマホごしに聞こえる。千冬も意地悪で黙っていたわけではないらしい。千冬が嘘がつけない性格なのは千夏もよく分かっている。そういえば千冬がこのVRゲーム機を送り付けてきた日に千夏が電話した時、会話の最後で確か言いかけて止めたことを千夏は思い出した。もしかしたらあの時千冬が言いたかったのはこのことだったのではないだろうかと千夏は思う。
「それで?すべてを思い出した肝心のにーちゃんはどうなってるんだ?」
「……それが、全ての記憶が戻ったことでかなりのショックを受けたのか一人宿屋に閉じ籠ってます。あまり話してくれないので詳細は分かりませんが耐え難い苦痛だったのでしょう」
千春は今ダイブン国の宿屋で一人閉じこもって出てこない状態である。無論アシュリーやラナが声を掛けても一緒で、死んだ魚のような目で「ああ」とか「もう嫌だ」とか「ほっといてくれ」とかしか言わない。一昔前のRPGで村にいるNPCのようである。
「あちゃあ、そうなんだ。私も詳しくは知らないけど、それじゃあ現実の世界でもゲームの中でも同じじゃん。そんなになっちゃうんじゃあ忘れたままの方が良かったのかもしれねえなあ」
「……それは」
忘れたままの方が良かったのか。それは千夏にも分からない。実際、アシュリーやラナも急に人が変わったような千春の姿に戸惑っていた。
「ただでさえにーちゃんが現実世界に帰る方法が分らないっていうのに、肝心のにーちゃんがそんな調子じゃあ本当に手詰まりだな」
「そんな!何か方法はないのですか!?」
「落ち着けよ千夏ねーちゃん。私だって出来ることなら千春にーちゃんの力になりたいと思ってるぜ。でも千春にーちゃんが現実世界に帰りたくないんだったらそれは本当に正しいことなのか?元恋人の雪村笑子が死んだ世界に絶望しているんだろ?」
「それは……」
千夏は答えることが出来ない。
「申し訳ねーけど私も受験勉強があるし、あまり力になれそうにないしな。力づくってわけにもいかねーし、少し様子を見るしかないんじゃないか?」
「……」
千夏はそのまま電話を切った。なんとも言い難いやるせなさが千夏の心の中に残っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
アシュリーはその夜なかなか眠れずにベッドに座っていた。千春が宿屋の一室に閉じ籠って出てこなくなってから既に一週間ほどになっていた。アシュリーやラナ、千夏が何を言っても呼びかけてもろくな返事はない。本来であれば次の国に向かい魔王討伐を進めなければならないのだが肝心の千春が動かないのであればアシュリーたちも動きようがない。
一体どうしてしまったのか。アシュリーには分からない。
ラナはしばらく待つしかないと言っていた。無論アシュリーも千春を待つつもりである。しかし、なんとか元気になってもらいたいとは思うのだがその方法も分からない。下手に刺激すれば逆効果になることもあるだろう。アシュリーは悩んでいた。
ガチャ
「……?」
微かに隣の部屋のドアが開いたような音が聞こえた。その音を聞いてアシュリーはベッドから跳ね起きた。そう、隣の部屋は千春が閉じこもっている部屋だからである。アシュリーは恐る恐る自分の部屋のドアを少しだけ開けて外を覗いてみる。
「……千春?」
なんと驚くべきことに一週間閉じこもっていた千春が部屋の外に出ていた。暗い廊下をふらふらとなんとも頼りない足取りでどこかに向かおうとしていた。こんな真夜中に一体どこに行こうと言うのだろうか。アシュリーは最低限の身支度だけして千春の後をつけることにした。
千春は宿屋を出てダイブン国の町の中を城門の方へ進んでいた。とにかくアシュリーは千春に気付かれないように千春を尾行した。そのうち本当に城門まで到達すると千春はさすがに兵士に話しかけられた。しかし千春は兵士に何を話しかけられても上の空な感じで兵士の言葉も聞かずそのまま城門の外へと出て行ってしまった。
「お疲れ様です」
「ああ、アシュリーさん良かった。今千春殿が来られたのですが……我々の制止も聞かずいってしまわれたのです」
城門の兵士はアシュリーの姿を見て少しほっとしていた。
「千春はどこに?」
「それが私達にも分からないのです。『ほっといてくれ』と言われまして。この近くであればそこまで強力な魔物はいませんが崖など危ない場所もあります。この国を救った英雄にもしものことがあっては私たちも困ります。明日の朝にしてはと進言したのですが聞き入れてもらえず……」
一体千春は町の外で何をしようというのか。
「分かりました。ありがとうございます。千春は私が付いて行きますのでご安心を」
「そうですか。アシュリーさんもお気をつけて」
アシュリーは城門の兵士に別れを告げ千春の後を追った。少し目を離していたが存外すぐにふらふらと歩く千春を見つけれることができた。
「……一体どこに行こうというのですか千春」
誰に言うでもなくアシュリーは呟く。そのまま千春は暗い夜道をふらふらしながらどんどん城門から離れていった。やがて城門が見えるか見えないかぐらいのところまで来た時に千春は突然その場に座り込んで持ってきたバッグの中を漁り始めた。一体何を始める気なのか。アシュリーは岩陰から顔だけ出してその光景を見守っていた。
その時突然アシュリーの背後から手が伸びてきて口が塞がれる。
「!!!!????」
「しー!静かに!私よ」
その手はラナの手であった。ラナは自分の口元に指をあててアシュリーを宥める。
「ラナ!ついてきたのですか?」
「あなた達が宿を出ていくのが丁度見えたのよ。それで?チハルは真夜中のこんな場所で何をしているの?」
「……分かりません。私も今こそまさにそれを確認しようとしていたところです」
アシュリーとラナは二人で千春の行動を見守る。千春はバッグを漁っていたかと思うと一つの水晶を取り出した。
「……あれはモンスター水晶?魔物を呼び出してどうする気なのでしょうか?」
そのまま千春は水晶から魔物を召喚した。それはアシュリーたちが全く想像していないものだった。
それはジライイワであった。
それは大分前、このダイブン国に来てすぐのころ、ミカサノ盆地に向かう途中の街道で見つけた魔物であった。間違ってそのジライイワに座ると立つときに爆発してしまう恐るべき魔物で以前誤って座ってしまったラナを助けるために千春が捕まえた魔物である。
「ジライイワ?あんなもの出してチハルはどうする気なのかしら?」
アシュリーとラナが見守る中、千春はさらにバッグの中からトンカチを取り出す。そして千春はそのトンカチを天高く振りかぶった。
「ちょっ!!!!」
アシュリーとラナは慌てて岩陰から飛び出すと千春を後ろから羽交い絞めにした。ジライイワをトンカチなんかで叩いたらどうなるか。子供でも分かりそうなものである。
「何やってるのよチハル!死ぬ気!?」
「千春!どうか自棄を起こさないでください!」
「……アシュリー?ラナ?」
二人に羽交い絞めにされた千春は力なく項垂れると大粒の涙を流し始めた。
「うっ、ううっ……」
「千春……」
その光景を見たアシュリーとラナは改めて千春の心の傷の深さに気付かされた。辛うじて他人に迷惑を掛けないように町の外に行くという理性は残っていたものの、行動そのものはただの自殺である。どれだけ辛い経験をすればこうなるのか。千春が話してくれない以上アシュリーやラナには分からない。ただ見守ることしかできない。
アシュリーはそのふがいなさにただ唇を嚙み締めた。
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