第11話 幕間 竹田千夏
教師生活を別に夢見ていたわけではない。ただ、自分のやりたいことが見つからないまま高校、大学と進学していたらいつの間にかまた高校に教師として戻ってきていた悲しい人間。それが自分なんだと竹田千夏は自己評価していた。小さいころから勉強もスポーツも優秀だった兄と比べて自分は本を読むくらいか取り柄がない。物静かと言えば少し聞こえがいいが悪く言えば陰キャである。
「ちなつちゃんまた明日ねー!」
「あ、笹原さん。気を付けて帰るのよ」
自分のクラスで陸上部の女子生徒が元気よく片手を振りながら走り去っていった。夕日もまぶしいが彼女の笑顔も負けずにまぶしいな千夏は思う。
「いやあ、竹田先生は生徒に人気者で羨ましいですな」
突如千夏の後ろから声を掛けた人物がいた。がっしりとした体格に角刈りのジャージ姿で右手には竹刀。誰に聞いても体育教師と答えるであろう風体だ。
「……藤堂先生」
期待を裏切らぬ。それは千夏と同じくこの高校の体育教師で剣道部の顧問、藤堂一であった。歳は45で既婚者。生徒から鬼の藤堂と恐れられる今どきは少し珍しい強面の教師だ。生徒指導担当でもある。言うまでもなく千夏の先輩である。
「しかし、いくら関係が良いと言っても生徒から尊敬されるのか、舐められるのかは大違い。いつも言ってますよね?竹田先生は生徒に甘すぎると。生徒に下の名前で呼び捨てを許すからこういうことになるのです」
「……は、はあ」
千夏はこの藤堂という教師が苦手であった。思考が完全に前の年号なのである。いつの時代かと思っている。藤堂はことあるごとに先輩としての使命感からか千夏に良く苦言を呈するのだ。
「お疲れ様です!失礼します!」
間の悪いことに数人の剣道部の生徒が通りがかった。誰もが教習所の車のように立ち止まってこちらに向き直り深々と頭を下げる。剣道部が通り過ぎると藤堂は尚のこと得意げに千夏を見下ろすのだった。
「どうですか竹田先生?こういう風にきっちり挨拶されると気持ちいいでしょう?健全な学生は皆こうあるべきなのです。彼らをしっかり指導することが我々教師の務めではないですかね?」
確かに藤堂教師の言うことも一理ある。しかし千夏には先程の剣道部員がかなり怯えていたように見えた。実は藤堂教師には体罰の噂がある。特に剣道部員にはかなりきつく当たるようで、練習中に竹刀でぼこぼこにされるなど日常茶飯事だという。それでも問題になっていないのは藤堂が剣道部で実績を出しているからだ。藤堂がこの学校に来てから3年連続でインターハイへの出場を決めている。学院長も大喜びで職員会でも高確率で藤堂教師を褒めたたえているのだ。ほとんどの教師は藤堂教師には逆らえない。
「す、すみません。以後気を付けます」
そこから約30分間千夏は藤堂教師の説教を食らい続けた。藤堂教師は自分のしゃべりに応じて段々エスカレートしていく典型的なウザいタイプである。千夏は修行僧のような気持ちで耐えた。そして夕日も沈み辺りが暗くなり始め生徒も見かけなくなったくらいにやっと解放された。
「とにかく竹田先生にはまだ教師としての自覚が足りません。そのことをよく肝に銘じておいてください」
何かの搾りかすになったような気分で千夏は職員室に向かった。職員室に戻ると既に大半の教師の姿は無かった。ゆらゆらと自分の席に戻る千夏。
「……?」
机の上に出しっぱなしにしていたスマートフォンが定期的な光を放っていた。見ると運送会社からのメールであった。どうやら荷物の不在票のようである。差出人の住所は福岡県の実家になっていた。
「……!」
ここでピンときた千夏は急いで帰り支度を始めた。再配達を今から2時間後に設定をする。
「お先に失礼します!」
わずかに残った教師たちからまばらに「おつかれー」と聞こえるが千夏は風のように職員室を後にする。急いで自分の車に乗り込みエンジンをかける。
「うふふふ」
思わず笑みがこぼれる千夏。実家からの荷物に千夏には心当たりがあった。教師生活3年目で故郷を離れ他県で頑張る千夏にたびたび実家から送られてくる物資。大体野菜などだが、その中に千夏の母親が絶対に入れてくれるものがある。それは千夏の大好物である明太子だ。
千夏はまっすぐ自分のアパートに帰宅すると真っ先に米を研ぎ始める。そう、これは千夏なりの明太子を迎える儀式なのである。明太子は何にでも合う素晴らしい食材だが、特に白米は必須級だ。千夏は一心不乱に米を研ぐ。
「……よし」
米を研ぎ終わった千夏は研ぎ終わった米を水に浸して放置。およそ1時間吸水ののち炊飯が30分ほど、千夏が荷物の受け取りを2時間後に設定したのはそう米の炊き上がりを予測してのことだったのである。
「あとは……」
千夏は冷蔵庫を確認して自分の愚かさを痛感した。そう、マヨネーズが切れていたのである。これでは明太子様をお迎えすることが出来ない。千夏はすぐさま車に乗り込み近くのスーパーへ向かう。なんだかんだ買う予定だった消耗品と奮発してビール等も購入して帰宅。ちょうど1時間たったので炊飯ジャーのスイッチを入れて準備万端。
――ピンポーン!
テレビを見ながらくつろいでいると玄関のチャイムが鳴った。炊飯ジャーはあと10分で炊き上がりますと表示が出ていた。すかさず玄関に向かう千夏。
「こんばんは~○○運送で―す」
「はーい」
玄関のドアを開けるとわりかしイケメンの運送員の兄ちゃんが笑顔で立っていた。
「竹田千夏様でお間違いないですか?ではこちらに受け取りのサインをお願いしまーす」
千夏ははやる気持ちを抑えながらサインをして荷物を受け取る。
「ありがとうございましたー」
配送員の兄ちゃんが去っていったのを確認して千夏は段ボールを床に置いた。
「さて、今回の明太子はどこのでしょうか?ふくや?やまや?そーれーとーもーあごおとしー?」
まるで宝箱を開けるような気分で千夏は段ボールを開けた。
「……なにこれ?」
そこにあったのは野菜でも缶詰でもない、ましてや明太子でもなかった。そこにあったのはヘッドセットとゲーム機。それ以外は逆さにしても出てこなかった。
「な・に・こ・れ?」
あまりのショックにへたり込んだまま動けない千夏。明太子オンザライスウィズマヨネーズ醤油はもはや実現されない。そこでちらりと目に入る送付状。そこには確かに実家の住所が書かれていた。しかし名前が竹田千冬、つまり妹の名前になっていた。いつもなら母親の名前で送られてくるのに。
千夏は自分のスマートフォンから千冬の番号を呼び出した。数コール後に千冬は電話に出た。
「あ、千夏ねーちゃん。ゲーム機届いた?」
すぐに犯人が分かった。
「あのですね千冬。あれは何なんですか?ていうか私の明太子はどこにあるんですか!」
「め、明太子?なんだそりゃ。だから、ゲーム機だって。私はこれから受験勉強があるから千夏ねーちゃんに頑張ってもらおうと思ってさ」
「意味が分かりません。頑張るってなんですか?」
「いいか、千夏ねーちゃんよく聞いてくれよ。実はそのゲームの中に千春にーちゃんが閉じ込められているんだyo!」
ああ、ついにわが妹は頭がおかしくなってしまったのかと千夏はこの世を儚んだ。
「千春兄さんが?ゲームの中に閉じ込められている?頭がおかしくなってしまったのですか?千春兄さんは今そっちの病院のベッドの上でしょう?」
「そうなんだけど!私も最初は信じられなかったけど本当なんだ。たまたま、息抜きに千春にーちゃんのゲーム機を起動して遊んでたらそのゲームの中にいたんだよ。どうやら、ゲームの不具合でログアウト出来ないみたいだ。私は一月ほど現に千春にーちゃんと一緒にゲームの中で攻略を手伝っていたんだ。今のところゲームをクリアする以外に千春にーちゃんを現実世界戻す方法が無いからな」
作り話にしてはよく出来ていると千夏は思った。それにこう言っては何だが千冬は嘘が苦手で兄弟の中では断トツでババ抜きが弱い。そんな千冬がこんな凝った嘘を言うとは千夏には思えなかった。
「……その話が本当だとしたら、まずゲーム会社に問い合わせるべきじゃないですか?」
「聞いたよ!でも、全然取り合ってもらえなかった」
まあ、普通はそんなこと信じる人なんていないだろう。
「にしても、どうして私なんですか?私以外でも千秋とか、他にゲームの上手い人に頼めばいいじゃないですか?」
「千秋ねーちゃんは機械音痴じゃんか。忘れたの?それにこれ完全に身内の事情だからさ。出来れば身内で解決したいと思ってるんだよな」
そういえば千秋は機械音痴でスマートフォンの設定も母親がやっているぐらいである。ちなみに千秋は今大学生で読者モデルでよく雑誌の表紙に載ってるくらいの美女である。彼女のファンが千秋の機械音痴ぶりを知るとかなり驚くだろう。それ以外は人当たりも良く、明るい性格で友達も多い。千夏とは正反対の性格なのである。
「別に私だって暇なわけじゃないんですが……」
「分かってるって。別に毎日やれっていってるわけじゃねーよ。時間が少し空いた時でいいんだ。頼むよ千夏ねーちゃん」
「……」
正直言って千夏にはなぜ千冬がこんなにも必死に頼んでくるのか理解できなかった。まあ、半分くらいは千春がゲームに閉じ込められているという話を信じられなかったというのもあるが、千冬自身千春を助けたい理由があるのだろうか。
そこで千夏はふと学生時代を思い出していた。千夏は当時かなり物静かな性格でいじめがあるクラスなら間違いなく標的になるようなポジションだった。にも関わらず一度もそういったいじめにあったことはなかった。あとで知ったのだが、それは千春が自分の妹をいじめたら許さないと色々根回しをしていたらしい。兄弟の中では一番頼りになるし優しい千春を千夏は尊敬していた。だから自分が教師になり、他県に移動した後、父と同じ警察官となった千春が意識不明の状態で発見され入院したと聞いたときは本当に信じられなかった。
「……わかった、分かりました。時間が空いた時だけですからね」
千夏はいまだに半信半疑ではあったが、尊敬する兄が万が一にでも苦しんでいるのなら助けたいと思った。それが今まで自分を助けてくれた兄に対する恩返しなのではないかと千夏は思うのだ。
「お、さすが千夏ねーちゃん。じゃあ千春にーちゃんのことは頼んだぜ。あ、そうだ。向こうで千春にーちゃんに会ったら伝えてほしんだけどさ」
まるで千春に会う前提のような言い方である。
ここで初めて千冬は言いにくそうに言葉を濁した。千夏が知る限りの千冬は単純明快を絵にかいたような明朗な娘である。その千冬が言葉を濁すなんてこと今まであっただろうか。よほど言いにくいことなのだろうか。
「なんですか。千冬らしくもない。はっきり言ったらどうです?」
しびれを切らして千夏が急かすと千冬は「ああ、もう!」と勝手に怒り出した。千夏からしてみればいい迷惑である。
「何でもねーよ!とにかく千春にーちゃんを頼んだからな!」
そう言って千冬は電話を一方的に切ってしまった。
「……全くもうあの子は」
千夏はため息交じりに呟くとスマートフォンを机の上に置いた。
そこでまるでタイミングを計っていたように炊飯器が米が炊けたと歌い出す。
「……あ」
悲しいことに、今日の千夏の夕食は炊き立てのご飯とマヨネーズと醤油になってしまったのだった。
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