第41話  スノースマイル

「あのー、お客様?」

「……へ?あ、はい!」


 千冬は郵便局員に心配そうに話しかけられて我に返った。


「お荷物の宛先はこちらでお間違えないでしょうか?」


 千冬は郵便局に来ていた。目的はある荷物の郵送依頼。その荷物とは


「大丈夫です。お願いします」


 千冬が千春と再会したあのゲーム「インフィニットオーサー」と千春の「ヘッドギア」である。


 千冬にはもうあのゲームを出来ない理由があった。そう、受験勉強である。高校三年生である千冬はバリバリの受験生、将来の目標の為入りたい大学も決まっている。兄を救出する目的が無ければ本来、ゲームをしている暇などないのだ。そこは千春も納得していた。


 しかし、千春は協力者と戦力を失うことになる。そこで千冬は信頼できるある人物にこのゲームとヘッドギアを送って、代わりに千春を手伝ってもらおうと考えたのだ。


「ではお預かりします。ありがとうございました」


 支払いを済ませ、郵便局員にお礼を言い、千冬は郵便局を後にした。


「よし、これでよーし」


 背伸びをして、これで心置きなく受験勉強に専念できると千冬は空を見上げた。


「……」


 嘘である。一つ心に引っかかっていることがある。それは現実世界のアシュリーのことである。原田悟はゲームでしかアシュリーに会ったことは無いが、福岡に住んでいるということは知っていた。それだけでは到底辿ることは出来ない。しかし、


『悟君が言っていたアシュリーってやつは恐らく雪村笑子のことだと思う』


 千春は千冬にそう告げていた。それは千冬を驚愕させた。千冬もその名前は知っている。知っているどころか何度か千冬も会ったことがある。それは千春が付き合っていた彼女の名前だった。千春は言った。不思議と少しずつ記憶が戻ってきている、と。アシュリー・スノースマイルはよく雪村笑子がオンラインゲームをする時のハンドルネームとして使っていた名前らしい。


 雪村笑子に会うことが出来れば、千春を現実世界に戻すことが出来るかもしれない。まあ、偶然ある特定の人物に会うなどよほど運が良くなければ不可能だろう。


 そんなことを考えながら歩いて帰っていると、右手に病院が見えてきた。兄の千春が入院している病院だ。


「……」


 その行動は本当に気まぐれだった。受験勉強で忙しくなる前に顔ぐらい見といてやるかぐらいの軽い動機である。千冬は病院の敷地内へと歩みを進めた。


 受付を済ませ、階段を登り、竹田千春と書いたプレートの前で返事が返ってこない扉をノックした。


「入るぜー兄ちゃん」


 そこには生命維持装置に繋がれた千春の姿があった。やせ細った腕やかさかさの口、胴体から大小様々な管が伸びている。肉親のこんな姿は例え分かってはいても見るのはつらい。千冬はゲームの中で会った兄との違いに絶句した。


「……ん?」


 顔も見たし帰ろうかと千冬が踵を返した時、ベッドの隣の机の上にあるものに目が留まった。


千春のスマートフォンだ。


 千冬はしばらくそれを眺めた後、いきなり取りつかれたようにスマートフォンに飛びついた。


「もしかして……」


 スマートフォンの画面は黒いまま動かない。充電が無いみたいだ。千冬は自分の鞄から充電器を取り出しスマートフォンにつなぐ。しばらくして画面に充電中のマークが現れた。しかし、まだスマートフォンは起動しない。


「良かった、壊れてはないみたいだ」


 ありえない話では無い。いや、むしろ十分考えられる話である。千春のスマートフォンに彼女、雪村笑子の連絡先が入っていることが。

 千冬は今か今かとスマートフォンが起動するのを待った。


 ポーン


 少々間抜けな音がしてスマートフォンが起動した。千冬ははやる気持ちを抑えて画面を見つめる。スマートフォンの画面にロックナンバーを入力する画面が出てきた。それはそうである。このご時世自分のスマートフォンにロックを掛けていない人など存在しないであろう。


「ち、ロックナンバーかよ」


 勿論千冬はロックナンバーなど知らない。生命維持装置に繋がれた千春に聞けるはずもない。ゲームの中に行くためのハードとソフトは既に発送済みである。


「いや、まてよ……」


 千冬はスマートフォンを片手にもう一方の手で千春の手を取り、スマートフォンに近づける。そう、指紋認証若しくは静脈認証であればロックが解除できるのではないかと思いついたのだ。充電のコードが短いためか、ぎりぎり届くか届かないかぐらいである。


「ぐぬぬ、もう、……少し」


 何とか届き、千冬が画面を見るとそこにはロック解除された画面、すなわちメインメニューが映っていた。急いでアドレス帳を確認する千冬。


「……あった」


 そこには漢字でしっかりと雪村笑子と書かれていた。というか彼女の名前をフルネームで入れるっていうのは普通なのだろうか、と彼氏もいない千冬は不思議に思う。まあ、今回は分かりやすくて助かるが。そこをタップして画面を進めるとそこには電話番号が書かれていた。思わず息を飲む千冬。少しだけ考えてその電話番号を押した。出てくれたら何て言おうか、そんなことを考える暇もなくアナウンスが流れ始める。


 おかけになった電話番号は現在使われておりません。番号をお確かめの上……


 少し肩透かしを食らった気分で千冬は耳にあてたスマートフォンを下ろして画面を見つめる。そう簡単に行かないかとため息をついた瞬間画面の下の方に映っている文字に目が釘付けになる。そこには「住所」と書かれていた。画面をスワイプするとその住所が表示される。なんと千春はご丁寧に電話番号だけでなく住所までしっかり入力していたのだ。ご丁寧に部屋番号まで書かれている。


「……東区か」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「きちゃったよね」


 千春のスマートフォンの雪村笑子の住所を自分のメモ帳に書き写した千冬は住んでいるであろうマンションの前に来ていた。電車で2駅ほどの場所だったのでそれほど遠くは無かったが、既に太陽は西の方で茜色になっていた。


 かなり大きいマンションである。入り口の自動ドアはオートロックで住民以外は簡単には入れない様になっている。ドアの前には部屋番号を入力するインターホンがある。


 もう一度メモで住所を確認する。ここで間違いない。ここにまだ、雪村笑子がいる保証はない。スマートフォンが解約されているぐらいだ。ここもすでに引っ越していない可能性の方が高い。それでも千冬にはここまで来た以上確かめずに帰るという選択肢はなかった。


 部屋番号を押して呼び出しボタンを押す。


「……はい」


 インターホン越しに聞こえた声は若い男性の声であった。千冬はやはり外れかと肩を落とした。


「……どちら様?」


 訝しがる若い男性の声、千冬は慌てて体裁を保とうとする。


「あ、すみません。こ、こちらに雪村笑子さんって方はいますですか?」


 普段敬語を使い慣れていない千冬は緊張で変な言葉遣いになってしまう。


「……あんた誰?」


 おや?と千冬は思う。「いない」でも「知らない」でもない。こちらは誰かと問われるのは予想外であった。もしかして「雪村笑子」に少なからず聞き覚えがある人物なのかもしれない。千冬はさらに慎重に言葉を選んで話す。


「私は竹田千冬と言います。雪村笑子さんにお聞きしたいことがあって来たのですが」

「竹田……?」


 インターホンの向こうの相手は少し考えているようだ。少しの沈黙が流れる。


「ああ、思い出した。もしかしてあの竹田千春とかいうやつの関係者?」

「そ、そうです!竹田千春は私の兄です。雪村笑子さんを知っているんですか?」

「知ってるも何も雪村笑子は僕の姉だ。はあ、今更何しに来たのさ」


 笑子の弟を名乗る青年は大きなため息をつく。


「……あいつから何も聞いてないの?」


 あいつとは千春のことだろうか。ということは、千春がここに来てこの笑子の弟と話したことがあるということだ。


「……姉さんは半年前に死んだよ。あいつのせいで。分かったら二度とここには来ないでよね」

「え……?」


 ブツッと通話が切れる音がした。不気味な程の静寂が千冬を包み込む。


「雪村笑子が……死んでいる……?」

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