第18話 亡霊

「な、な、……なんだってのよあれは!!!」


 現実に戻ってきた美桜は自分の部屋で枕を壁に叩きつけて憤慨していた。


「たかがゲームのキャラクターのくせに!くせに!!あーもう!」


 美桜のゲームに対する認識と言うのはただの趣味だったり、ストレス発散だったり、数あるエンターティメイントの一つ、その程度のものである。


 そのたかがエンタメの一つに美桜は本気で恐怖を覚えたのだ。



――なぜ?決まっているでしょう?あなた達に地獄を味あわせて復讐するためよ。



 あの言葉をじかに聞いた美桜は嫌なくらいその言葉の重みを理解していた。尋常でないくらいの決意と恨み、そして殺意だった。美桜はただの小学生である。ここまで明確な殺意を向けられたのは初めてだった。


「おい、美桜。壁叩くなよ!うるさいぞ!」


「うるさい馬鹿おにい!!入ってくんな!!」


「げっふー!」


 クレームに入ってきた兄を一瞬で撃破する。言うまでもなく9割八つ当たりである。


「……ん?待てよ」


 美桜はスタスタとドアまで歩いていき勢いよく開けた。



 ガン!!



「いってー!!鼻が―――!!」


 まだドアの近くにいた兄に扉が直撃する。悶絶する兄を尻目に美桜は質問を投げかける。


「おにい!!何なのあのゲーム!?」


「いてて……、なんなのってなんだよ。最初に言っただろうが。あれはゲームを作るゲームだってよ」


「そうじゃなくて!ゲームの中のキャラクターがまるで生きてるみたいに……」


 美桜は今までのことをかいつまんで兄に話した。


「ああ、そりゃそうだろ。インフィニットオーサーはAGIシステムが実装された唯一のゲームだからな」


「AGI……?」


「AGI、汎用人工知能のことだな。プログラムされたことだけではなくAIが自ら学習して成長していくシステムだ。だからあのゲームの中のキャラクターは最初の初期設定は製作者がするだろうが、そのあとはAIが自ら学習して成長していくようになってる。製作者ですら自分が作ったキャラクターがどのように成長するかは分からないだろうな」


「……そんな。それってまるで……」


 人間のようじゃないかと美桜は思った。つまりあのゲームの中のキャラクターは人間が作ったセリフや行動を実行するだけの人形ではない。AGIのお陰で自ら考えて自ら選択してその世界を生きているのだ。


「……」


 あのアオイという少女は美桜の問いに対して何のためらいもなく「殺す」答えた。しかも自分たちの世界がゲームの中だと理解していて、本当の意味で復讐するには現実世界でプレイヤーキャラクターを殺すことだと知っていた。



 ビクッ!



 言い知れぬ悪寒に思わず身震いする美桜。今のところNPCが現実世界に来る方法なんてない。不可能である。そんなのはファンタジーだ。そんなこと分かっているのに美桜は不安を覚えずにいられなかった。万が一アオイが現実世界に来てしまったら自分たちは間違いなく殺されてしまう、そう思わざるを得ないほどの憎悪だったのだ。


「なんだ?寒いのか?早く寝ないから……ぶっ!」


 美桜はしゃべっている途中の兄に向って容赦なく扉を閉めた。


「……悟」


 最後にあのアオイと言う少女は悟のことをひどく気にしていた。もしかしたらこの件で悟がプレイヤーキャラクターだと疑われたのかもしれない。しかし、美桜には分からないことがあった。なぜプレイヤーキャラクターをあんなにも憎んでいるならアオイは悟と一緒にいるのかということである。


「まさか、悟がおかしくなっている原因ってジュリア姫じゃないんじゃ……」


 今まで美桜はクレールの言うことを鵜呑みにしていたがよくよく考えるとおかしな点がいくつかあった。そもそも悟たちを監視している時に悟が主に話していたのがアオイだったことだったり、アオイがやたら美桜と悟の関係を気にしていたことも引っ掛かる。


 もしかして自分は何か大きな見落としをしているのではないか。


「……悟が危ない……!」


 美桜は最初ゲームに依存した幼馴染の目を覚まさせる目的でこのゲームをプレイした。しかし、実際は美桜が考えるよりも運命は複雑に絡まってしまっているのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 夜の病院を怖いと思う人は割と多いかもしれない。しかし、現実はそうでもないというのが一般的である。夜勤の看護師にとって一番怖いのは入院患者の急変であることは間違いないだろう。そもそも忙しくて怖いと思う暇すらない時もあるし、ナースセンターに戻れば夜勤の仲間たちが結構いる。


 皆川亜希子は幽霊などがめちゃくちゃ苦手である。TVのCMでホラー映画の予告が流れただけでチャンネルを変えるほどである。


 しかし、亜希子は看護師。何か特別な理由がなければ夜勤を断るのは難しい。しかもよりにもよって幽霊が怖いので夜勤は無理ですなど言おうものなら鼻で笑われておしまいということは容易に想像できる。


 忙しい時は気づいたら朝になっていることが多いので問題ない。


 問題なのは今日が特別忙しくないことである。亜希子は薄暗い廊下を巡視していた。


「(あーあ、早く終わらないかな)」


 亜希子は一人廊下を進む。



 タッ……タッ……タ



 「……?」


 その時亜希子は足音が聞こえた気がして立ち止まった。時刻は深夜2時。誰かトイレにでも行ったのだろうかとさして亜希子は気に留めなかったが。


「……まてよ」


 音のした方向はかなり重篤な患者のいるフロアだった。しかも、今このフロアにいる患者は一人しかいないはずだったのだ。半年ほど前に緊急搬送されてきてから一度も意識を戻していない患者が一人だけ。


「……」


 亜希子は嫌な予感がしたが、看護師として音の正体を確かめないといけない気がしていた。


「どうしたのこんなところで立ち止まって」


「ひっ!!」


 亜希子は突然背後から肩を叩かれて飛び上がるほど驚いた。


「そ、園美。脅かさないでよ……」


 それは同じ看護師の園美であった。


「いや、こっちの方がびっくりしたんだけど……。何そんなにびびってるのよ?」


「それが……こっちの方から足音が聞こえたのよ」


 亜希子はさっき足音が聞こえた方を指さした。


「……そんなわけないでしょ。だってこの先にいる患者は寝たきりなんだから」


 園美はあり得ないとばかりに亜希子を一蹴する。園美も同じことを思っているようであった。しかし気味が悪いにもほどがある。しかし、亜希子たちはそれを確かめる義務があった。


「ねえ、園美。一緒についてきてよ」


「え~、めんどくさいな~」


 亜希子は文句を言う園美の腕をがっつりと掴みかなり強引にさっきの足音のした方に向かった。


 そろりと角からのぞき込む二人、しかし廊下には誰もいない。


「誰もいないじゃない」


「おかしいなあ、確かに聞こえたんだけど」


 二人はそのまま廊下の中心にある病室の前まで移動する。その病室の扉のネームプレートには竹田千春と書かれていた。


 亜希子は恐る恐る扉を開ける。


「た、竹田さ~ん」


 もちろん返事はない。病室のベッドには横になった患者の足だけが見える。


「ほら、何もないじゃない。気にしすぎなのよ」


 園美がさっさと巡回に戻ろうとする。しかし、亜希子はその異常に気付いてしまった。

 


 足が見える?



 亜希子は急いで患者のベッドに駆け寄る。


「な、なによこれ……!!」


 亜希子はベッドに横になる患者を見て驚愕する。


 そこには生命維持装置が全て外された状態でベッドに横たわっている患者、竹田千春がいたのだ。今まで一度も意識が戻ったことのないはずなのに機器のから延びる管やモニターは無理矢理引っ張って取ったように見える。


「竹田さん!竹田さん!聞こえますか!?」


 亜希子が呼びかけるが返事はない。この惨状が嘘のように竹田千春は眠り続けていた。

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