第30話 お前が俺で

「それで?俺に相談ってなんだよ?」


 千春は千夏の研究室にいた。ここまで連れてこられたということはあまり人には聞かれたくない話のようである。


「はい、それなんですが……」


 千夏はお茶を入れて千春の前に置くと自分も千春の前に座る。


「私の現実の学校で実は少し厄介なことになっていまして……」


「厄介なこと?」


 千夏はこれまで自分の学校であったことを千春に伝えた。坂梨聡美という生徒から相談があったこと、幼馴染の大島優が剣道部で剣道部の顧問の藤堂一教師からパワハラとも思えるようなしごきを受けている場面を見てしまったこと。そして生徒をかばって自分は剣道場の出入りを禁じられたこと。千春は黙って千夏の話を聞いていたがその表情は明らかに曇っていた。


「と言いうことなんですが、私はあまり剣道に詳しくなくて。千春兄さんなら剣道に詳しいし何か助言を頂ければと思ったのですが」


「なるほどな。千夏の話が本当であればかなり危険だと俺も思う。確かに昔はそういった根性論で指導する先生もいたが、いまだにそんな先生がいるとは……。その藤堂教師が生徒のコンディションをちゃんと把握して指導しているならいいが、一つ間違えたら大事故になる可能性もある」


「だ、大事故ですか?」


「あくまで可能性の話しだけどな、例えばたまたま寝不足で体調が優れない状態で水分もろくに取らずそんな練習をしていたら脱水症状になる危険性が一気に高まる。そこをちゃんとその指導者が把握出来ていれば問題ないんだけどな。実際脱水症状で剣道部員が病院に搬送されて間に合わず亡くなったと言う痛ましい事例が昔あったんだよ」


 それは千春が高校3年生の頃、近所のライバル校で主将をしていた子の事であった。千春が聞いた話だと、その時の指導者の教師もその生徒にろくに水分を取らせず練習させあろうことか体調が悪いにも関わらず気合が入ってないとその主将を竹刀で叩き、道場の隅に放置したらしい。すぐに病院に連れて行けば命は助かったかもしれなかったのにと当時千春はライバル校の部員に聞いて唇を嚙み締めたのを覚えていた。その子は剣道をとても楽しそうにしていたのに。千春はその時のことを思い出すといてもたってもいられない気持ちになった。


「そんな……一体どうしたら……」


「なあ千夏、一つだけ方法があると言ったら乗るか?」


 もう二度とあんな悲劇は繰り返してはならない。千春はどうにかその生徒を助けたいと強く思うのだった。


「え、何か方法があるのですか?」


「……ああ、まだ一回しか試したことは無いが成功すれば何とかなるかもしれない」


 そう言うと千春は目を閉じて自分自身に消えろと念じる。そういえば半透明になるのも久しぶりだなと千春何故か感慨深く思うのであった。


「え?ちょ、千春兄さんが消えていきます!大丈夫なんですか?」


 千夏は千春が半透明になるのを初めて見たのでかなり驚いているようであった。


「大丈夫だよ。半透明になるだけだから。千夏握手してくれ」


「はあ、それが兄さんの能力なんですか?それで握手が今回の件と何か関係があるのでしょうか?」


 案の定千夏は訝しむ。まあ確かに誰であろうといきなり握手したいと言われれば警戒するだろう。しかし、千春にはしてもらわなければならない理由があった。そう、以前シュラ国で千春は半透明の時千冬の体に触れることによって精神と体が入れ替わるという不思議な現象が起こっている。千春の推察が正しければ千冬の時と同じ現象が起こるはずである。


「……まあ、握手ぐらいいいですが……っ!!」


「ぐっ!!」


 千夏は解せない表情をしながらも千春の握手に応じる。



ドクン!!



その瞬間二人の視界が反転する。


あまりの気持ち悪さにたまらず蹲る二人。


「……っうえ、頭がぐるぐるします~。なんなんですか~もう」


 千春はぐらぐら揺れる視界が正常に戻るのを待って前を見ると予想していた通りの光景がそこにあった。


「やっぱりな。この状態でプレイヤー同士が触れると入れ替わるのか」


 千春の目の前には千春の姿があった。


「やっぱりってなん……な……え?」


 苦しそうにしながら千夏は目の前の光景に目を疑った。


「……なんで私がいるんですか?」


 千夏(姿は千春)はあまりの事態に軽く青ざめている。


「おちつけ千夏。今俺たちは体と精神が入れ替わっているんだ」


「……?……!!!???」


 千夏はとても分かりやすく混乱した。まあ無理もないとは千春も思っている。


「千夏、その状態で消えたいとか、自分はいらない存在だとかネガティブなこと考えてみてくれ」


「え、それが一体何に……分かりました」


 しぶしぶ千夏は目を閉じて一生懸命ネガティブなことを考えているようだった。そうしているうちにだんだん千夏(姿は千春)の体が半透明になっていく。それを見計らって千春(姿は千夏)は千夏(姿は千春)の肩に手を置いた。



 ドクン!



 またもや視界が反転しあまりの気持ち悪さに蹲る二人。


「うー、一体何なんですか……って戻ってます?」


 千夏は千春の姿と自分の手足を見比べて確認する。


「分かったか?これを利用すれば俺たちの体を入れ替えることが出来るんだ。そしてこのままログアウトすると入れ替わったまま、つまり俺は千夏の姿のまま現実世界に変えることが出来るんだよ」


「……本当ですか?にわかには信じがたいです」


「本当だよ。実際千冬の時に一回試している」


 それを聞いた千夏は何故か顔を赤らめて信じられないと言う顔をした。


「千冬とも入れ替わったんですか!?」


「まあ千冬はめちゃくちゃ嫌がったけどな。最終的には現金3万円で手を打ってもらったが」


「……な、妹の体をお金で……!へ、変態です!通報します!」


「ば!人聞きが悪いにもほどがあるだろうが。それに俺は警察官だぞ?」


「じゃあ、教育委員会に言います」


「それは本当に止めてくれ」


 コントみたいなやり取りをする二人。千春はふうと一息つくと本題を切り出した。


「つまりだ。千夏と俺が入れ替わって、俺がその藤堂教師と話を付けに行ってくる」


「え、それは確かにありがたいですが。つまりその間私は兄さんの体で、兄さんは私の体ってことですよね?」


「当たり前だろ」


「嫌です」


 千夏は即答した。まあ、ここは千春も想像していた。体が入れ替わるなど、同性でも嫌だろうにしかも肉親同士で異性である。千冬も相当嫌がったのだ。さてどうしたものかと千春は頭をひねった。


「現金3万円でどうだ?」


「最低ですね。千冬と一緒にしないでください」


「やまやの辛子明太子でどうだ?」


「……」


「そこは考えるのかよ」


 千夏の大好物を千春はちゃんと分かっていた。しかし、明太子で良いなら千冬より安価だぞと千夏よ、と千春は内心思っていた。もう一押しのような感じである。


「ふくやとふくさや、あごおとしもつける」


「……!!!」


 一瞬にして千夏の目の色が変わり、千春は勝利を確信したのだった。

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