第39話 幕間 マリン・アオンコ

 これはマリン・アオンコが幼い頃の話である。


 その獣は風のように山を駆けていた。深夜の見通しの悪い山の中にも関わらず全力である。その体には多数の刀傷と折れた矢が何本も刺さっていた。顔は血で真っ赤になっており悪い視界の中時折木々をなぎ倒し進む。口からは血を垂らしながら息も絶え絶えである。酷いありさまだ。しかし、その瞳だけは憎悪の炎に燃えるかのように欄欄と輝いていた。


「おのれ!おのれおのれおのれ!!憎き人間どもめ!呪ってやる!七代先まで子々孫々呪い続けてやる!!」


 森を抜けて、少し小高い丘に出た時、その獣の容姿が月の光に照らさせる。尖った耳、長い鼻、九本の尾。それは巨大なキツネの化け物であった。大きさを例えるなら大型のバスぐらいあるだろうか。


「……ここまで来れば……容易に追っては来れまい」


 そのキツネの化け物は一度足を止め、丘からの景色を一望するとゆっくりと歩き始めた。


 このキツネ、リトウの国の国王の元正妻であった。人間に化け、国王を操り逆らう者、邪魔になる者は全て殺した。国王はこのキツネの美貌に虜になり市政を乱したことにより反乱軍にクーデターを起こされあっさりと殺された。このキツネはそんなクーデターから何とか逃げ出してきて今に至るというわけである。どこかで聞いたような話である。


 化けキツネは小高い丘から水を求めて下り始める。傷だらけの体を引きずるようにゆっくりと進む。とりあえず追っ手は巻いたと安心した途端傷が痛み始めた。


 しばらく歩くと小さな沢を発見した。これ幸いと化けキツネは沢に顔を突っ込んで凄い勢いで水を飲む。怒りと逃げることで頭が一杯になっていた化けキツネはようやく水を飲み、心を落ち着けることができた。


「……この妾が汚い沢の水を飲むとはの」


 頭が少し冷静になったことでほんの一日前まで贅沢の限りを尽くしていた自分と比べる化け狐。まさに下剋上、都落ちである。クーデターなんぞ起こされなけば自分は今頃高級な食べ物と酒を楽しみ、ふわふわのベットで寝ていたことだろう。そう考えると、またふつふつと怒りが込み上げてきた。


「は、いかんいかん。今は……」


 沢の水面に映る恐ろしい自分の顔を見て我に返る化け狐。当分は怒りのあまり夜もよく寝られないと分かってはいたが、いま必要なのは体を休める場所である。消耗して人に化けれない狐はどこかこの山の何処かで休むしかなかった。


「あれは……」


 見ると沢の上流に岩壁があった。沢の水はその岩壁の割れ目から流れ出している。その割れ目の近くになかなか大きめの洞窟があった。


「この際、贅沢も言ってられんの」


 即席に見つけた寝床としては上出来であろう。例え黴臭くムカデが出ようがほかの魔物いようが、我慢するしかない。狐は納得いかない思いを持ちながらもさらに重くなる体を引きずるようにその洞窟に身を寄せるのであった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 次に狐が目を覚ました時、辺りは完全に明るくなってしまっていた。時間経過が分からない。体の傷が少し回復しているところを見ると何日か経っているかもしれないと狐は思った。


 がさがさがさ!


 その時近くの茂みで何か動く音がした。狐は警戒しその茂みを凝視する。まさか追っ手かと緊張が走る。


 ぴょこ


 予想外にも茂みから顔を出したのは動物の耳をつけた子供だった。


「……なんじゃ、亜人のわっぱか。人間であれば腹の足しにもなったんじゃが」


 それはタヌキの耳をつけた亜人の子供であった。その子供は興味深そうにその狐を茂みから伺っていた。


「去れ!食われたいのか!?」


「!!!!」


 同族を食べる気になれなかった狐は亜人のタヌキ娘を威嚇した。タヌキ娘はその恐ろしい咆哮にびくりと身を震わせ一目散に逃げて行った。タヌキ娘の姿が完全に消えてからしまったと後悔した。タヌキ娘がいるということはこの近くに村があるということである。きっとあのタヌキ娘は村に戻って自分のことを話すだろう。そうすれば危険と判断した村人が討ちに来るかもしれない。食わないまでもちゃんと殺しておくべきだった。


「(どうする?今からでも追いかけて殺すか?)」


 狐は一瞬逡巡するが、追うのはやめた。こんな山奥の村である。人数なんてたかが知れている。来たら来たで人間なら食ってしまえばいい。狐はそう考えた。


 狐はまだ痛む傷口を気にしながら地面に伏せて目を閉じた。しばらくは回復に専念しようと眠りにつこうとしたその時


 がさがさがさ!


 またさっきと同じ場所の茂みから音がする。狐がその場所に目をやると、さっき逃げたタヌキ娘がまた茂みから顔だけ出してこちらを見ていた。


 狐にはタヌキ娘の考えがまるで分らなかった。さっき威嚇して怖がらせたのになぜまた戻ってくるのか。


「……」


 タヌキ娘は意を決したように茂みから出てくるとゆっくり狐に近づいて行った。両手には枯れた葉に包まれた何かを持っていた。武器だろうか。だとしたらすごい度胸である。自分の何十倍の大きさの化け狐にナイフ一本で挑むなど正気の沙汰ではない。


 狐は戸惑うあまり、そのタヌキ娘が目の前まで来るのを許してしまった。見ると小刻みに体が震えている。怖いのは間違いないようだ。ならばなぜ寄ってくるのか。狐にはまったく理解できなかった。


「なんじゃ、お主は。そんなに食われたいのか?」


 狐がそう言うとタヌキ娘は両手に抱えた枯葉の包みを開いた。


 そこにはおにぎりが二つ並んでいた。


「あの、……おなか空いてると思って。二つは無理だけど一個だけなら」


 そう言ってタヌキ娘はおにぎりを一つとって狐に差し出した。どういうつもりだろうかと狐は訝しんだ。この狐は頭がいい、なぜなら陰謀渦巻く宮中で正室まで上り詰めた女である。他人がいかに信用できないかということも理解していたし、他人を陥れることに長けてもいた。


「……何のつもりじゃ、わっぱ。お主が……」


 あまりの意味の分からなさに狐はタヌキ娘に話しかけるとタヌキ娘は驚きの行動に出た。


「えい!」


 なんと持っていたおにぎりを宙に放ったのである。ゆっくりと放物線を描くおにぎり、狐は咄嗟にそのおにぎりに食いついた。そして食べてしまってから狐は後悔する。もし、このおにぎりに毒が入っていたら自分は死んでいたのだ。狐は猛烈に自分の軽はずみな行動を恥じた。


 しかし、肝心のおにぎりはほんのり塩味がきいていてめちゃくちゃ美味しかった。

 もちろん空腹という最高のスパイスはあっただろう。しかし、狐にとっては宮中で食べたどんな高級な料理よりおいしく感じたのだ。


「……♪」


 おいしそうに食べる狐をみて満足したのか、タヌキ娘は狐の大きな前足に腰かけて自分もおにぎりを食べ始めた。


「わっぱよ」


「僕はマリンだよ」


「……マリンよ、お主何を考えておる。妾が怖くないのか?」


 マリンというタヌキ娘はぱくぱくぱくとおにぎりを平らげると好奇心の塊みたいなきらきらした目で狐を見る。


「ねえ、あなたのお名前は?」


 どうやら会話が成立しないらしい。狐は子供相手にむきになるのも馬鹿らしく、ため息をついた。しかし、自分の名前を正直に答えるのは気が引ける。その時狐は国を追われる前、自分のことを「滅国の女狐」と揶揄されていたのを思い出した。文字通り国を滅亡に導いた悪逆非道の輩だという意味である。


「そうさな、妾のことは『滅国』と呼ぶがよい。どうじゃカッコいいじゃろ?」


 狐にとっては皮肉が利いていて逆に気に入ったようである。


「めっこく?」


 それを聞いたマリンは何やら考え始めた。


「なんじゃ?気に入らんのか?」


「うーん、……呼びにくいし可愛くない」


「かわっ……」


 人の名前にケチをつけるとは子供ながらに注文の多いやつである。


「なら、なんだったらよいのじゃ?」


「う~ん、……そうだカリン!カリンなんてどうかな?僕お姉ちゃんが欲しかったから!」


 それにしても今日会ったばかりだというのに大層な懐きっぷりである。


「……もう、お主がそれでよいのであれば好きにするがよい」


「うん!」


 タヌキ娘はニコニコと狐、カリンを見上げる。


「それで、お主は何故妾にこんなことをする?」


「えっとね、僕はお館様の言いつけで森に薪を拾いに来てるの。でも、薪を拾うのはそんなに時間が掛からないから余った時間で……その……」


 そこでマリンは恥ずかしそうにもじもじとする。何か言いにくいことなのかとカリンは訝しむ。


「僕のご飯を半分あげるから、一緒に遊んで欲しいな」


「遊ぶ?」


 どうやらマリンは遊び相手が欲しかったようだ。見ると体はかなり瘦せ細っている。お館様と言っているところを察するに其の家に奉公に出ているようだが、満足にご飯をもらっている様子ではない。必要最低限の食事しか与えられていない中でその半分をカリンに上げてでも遊んで欲しいものかとカリンは首を傾げた。


「何故じゃ。遊ぶなら村の子供たちと遊べば良いではないか」


「村の子は嫌い。いつも僕をいじめるから。それに村にいる間は遊んでたらすごく怒られちゃう」


 亜人は数が少なく珍しい。地域によっては酷い迫害を受けることも珍しくない。マリンの村でも亜人の扱いは良くないようであった。


「はあ、まあよい。それで何をするじゃ?」


「遊んでくれるの!?」


 なぜ高貴なる自分がガキのお守などせねばならんのだとは思ったものの、おにぎりを貰ったのは事実であるし、どのみち体が完全に癒えるまではここを動けないのである。退屈しのぎに相手してやろうとカリンは思った。


 マリンは袖から二つのお手玉を取り出した。


「……なんじゃそれは?」


「お手玉だよ。こうやって遊ぶの」


 そう言うとマリンは二つのお手玉を器用に宙に放った。


「……それ、面白いのか?」


「う~ん、わかんない。でも村の子たちはこれで遊んでたよ」


「仕方ないのう。高貴なる妾が高貴なる遊びというものを教えてやろう」


「コーキなる遊び!?なにそれ!教えて教えて!」


「良いか、まずこれから言う特徴の石を沢から探してくるのじゃ」


「うん!」


 こうして、村のタヌキ娘マリンと滅国の女狐カリンとの奇妙な関係が始まった。マリンはほぼ毎日カリンの元を訪れ、自分の昼食を半分渡す代わりにカリンに色々な遊びを教えてもらった。マリンは頭がよく、カリンの言うことをとても早く吸収していった。


 そのうち、カリンの体も大分癒え人の形に化けれるようになってきた。


「うわー、カリンってすごい美人さんだったんだねえ」


 人の形になったカリンを見てマリンはかなり感動していた。


「ふ、当然であろう。妾より美しいものなどこの世には存在せぬ」


「ほえー」


 まさに当然といったように言うカリンだったがその日はいつもより少しだけ上機嫌であった。


 そのうち、マリンには魔法の才能があることが分かってきた。カリンは魔法(どちらかというと術であるが)に長けていた。これも暇つぶしにカリンはマリンに魔法を教えていた。


「ほう、なかなか筋がよい。その調子で鍛錬すればすぐに中級魔法まで習得できるであろう」


「ほんと!?」


 何より、マリンはなんにでも興味をもつ性格のようでカリンが教える色々なことを喜んで学んでいった。それがマリンの成長が早い一番の理由だったのかもしれない。


「それにお主、魔力吸収のパッシブスキルがあるようじゃな。何もしなくとも空気中から魔力を、触れれば特に対象から魔力を吸収しておる。MP消費が激しい魔法もこれで連発出来ることを考えるとこれはかなり強い」


「僕って強いの?やったー!」


「調子に乗るでない。せめて中級以上の魔法を身につけなければ宝の持ち腐れじゃ。怠けず鍛錬に励むじゃ」


「うん!」


 そうして一月ほど過ぎ、山には冬の気配が漂い始めたころカリンの体が完全に回復した。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「え、どこか行っちゃうの?」


 もうすでにカリンの体は完全に癒えていた。むしろ長居しすぎたぐらいである。カリンはその日、明日の朝にはここをたつとマリンに告げた。


「……そっか、残念だけどカリン元気でね」


 正直かなり引き留められるかとカリンは思っていたが、マリンはそこまで我儘は言わなかった。しかし、今まで見たことがないほどの寂しそうな顔をしていた。この一月でマリンは大分カリンに懐いていた。カリンも別に嫌では無かった。むしろ本当の妹のように思える時もあった。


 カリンは一緒に来るか?という言葉を飲み込んだ。自分がこれから歩むのは修羅の道、糞な人間どもに復讐するべく準備を進めることになる。それにマリンを付き合わせる気になれなかったのだ。


「……ああ、お主もな」


 その日の夜、村のほうが騒がしくてカリンは目を覚ました。洞窟を出て村の方角を見ると赤々と勢いよく燃える炎が見えた。


「……夜襲か」


 恐らく盗賊連中にでも襲われたのだろう。村は炎に包まれていた。


「……」


 嫌な予感がしてカリンは村の方角に駆け出した。体を獣に変え、風のように駆ける。すぐに村には到着した。


 村には少数の盗賊が残っているのみだった。村人はすでに逃げたのかあまり見当たらなかった。時々逃げきれず殺された村人の姿もあったが住人に対して明らかに少なかった。


「ひっ、なんでここに狐の化け物が!」


 家探しをしていた盗賊はカリンの姿を見ると一目散に逃げていく。これが普通の反応だ。


「……」


 さらに村の奥に行くと、村で一番大きな屋敷の前にマリンがいた。


「……マリン」


 マリンはすでに息絶えていた。


 逃げられないように門の柱に縄でつながれている。盗賊の仕業ではないだろう。恐らくここの屋敷の主が逃げる時間を稼ぐためにマリンを囮にしたのだ。それにしてもマリンの有様は酷いものだった。腕と足は一本づつ切り落されて大量に出血していたし、体中に痣があり、いたるところが骨折している。盗賊にどんなふうに殺されたのかはこれを見れば明らかであった。カリンはあの時マリンを誘って村を出ていればこんなことにはならなかったのでないかという思いが頭の片隅によぎる。


「……か、カリン?」


 完全に息絶えているかと思われたがマリンはまだかろうじて息があったようだ。


「無様じゃな。人間なぞにかかわるからそういうことになる。自業自得じゃ」


 カリンは優しい言葉などかけなかった。


「来てくれたんだね、最後にカリンに会えて嬉しい」


 しかし、マリンはいつものように笑うのだった。この出血量である。意識を保っていられるだけでも奇跡だろう。


「生まれ変わったら、またカリンに会えるかなあ」


 マリンはもう自分が死ぬことを受け入れていた。


「……そうじゃな、お主が最強の魔法を習得できたなら会えるかもな」


「ほんと?僕頑張るよ……」


 みるみるマリンの体から血の気が引いていく、もう目も見えていないだろう。最後の時は本当にもう目の前だ。


「最後に言い残すことがあるか?特別に聞いてやるぞ」


 単純に気まぐれではあったが最後の望みぐらい叶えてやろうという気にカリンはなっていた。


「ほんと?」


「ああ、お主を遊び殺した盗賊を皆殺しにするか?それともお主を囮にして逃げた村人どもを皆殺しにするか?」


 カリンがそう言うとマリンは最後の力を振り絞って自分の懐にまだついている方の腕を入れて何やら見覚えがあるものを取り出した。


 それは枯葉に包まれたおにぎりであった。


 おにぎりはぼろぼろに崩れてもはや原型をとどめていなかった。


「僕はもう食べられないから、今日は二つともカリンが食べていいよ」


 マリンはそう言っていつものように笑って息絶えた。今度こそ本当に。マリンの手からおにぎりが転がって地面に落ちた。


 カリンはしばらく呆然とマリンを眺めていた。それは信じられないものを見る目だった。


「……なんだそれは。そんなものが最後の言葉じゃと……?」


 いままでカリンの前で死んでいくものは皆命乞いをするか呪いの言葉を吐き捨てるかであった。他人を思いやる、しかもカリンに施しを与えて死ぬ者などいるわけもなかったのだ。あまりの意味不明さにしばし固まるカリン。


 しばらくしてカリンは人間の姿に戻るとマリンが最後に残した、つぶれて変形したおにぎりを拾上げると土がついたままかぶりついた。


 屋敷を燃やす炎がゆらゆらと揺れて二人を照らす。


「……ちと、気が変わった」


 おにぎりを平らげるとカリンはそう呟いてマリンのそばに膝をつく。


「……反魂の術!!」


 それは禁断の秘術。二人は昼間を思わせるような眩い光に包まれた。

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