第38話 デッドリーディジーズ

 王国の地下牢というものは間違っても良い雰囲気のところではない。薄暗く、足元は冷たい石畳で空気も心なしかジメっとしている。まあ、過ごしやすい空間では罰にならないので地下牢とはこれでいいのだと皆思うだろう。

 囚人はその扱いでも仕方がないが、不遇な人物が一人いる。看守だ。


「はあ……」


 看守の兵士は一人ため息を吐いた。


「何だよ、えらく落ち込んでるな」


 薄暗い廊下の奥からもう一人の兵士が現れた。


「お、おお。なんだもう交代の時間か」


 どうやら新たに現れた兵士は看守の交代だったようだ。


「そりゃ、落ち込みもするさ。知ってるだろ?例のクレール脱獄の話をよ」


「ああ、脱獄したらしいな。不思議なことに牢屋の鍵はかかったままで煙のように消えたって噂だが、もしかして……」

「ああ、そうだよ。俺が当直の時さ。全く、何が何だか全く分からねえ。気付いたら牢屋はもぬけの空ってわけだ。慌てたぜ」


 交代に来た看守は頭をかくもう一人の看守を見てけらけらと笑う。


「そりゃ、お前災難だったな。事故にでもあったと思って諦めるんだな」


 けらけらと笑う交代に来た看守。


「では、あなた達も今日のことは事故にあったと諦めてくれるのですかね?」

「!!」


 突然の第三者の登場に戦慄する二人の看守。


「だれだ!」


 時刻は草木も寝静まる深夜。こんな時間に面会に来るものなどいるはずがない。声がした方を睨みつける看守たち。黒に塗りつぶされたような暗闇からゆっくりと長身の男が現れた。


「はじめまして。こんばんは。そしてさようなら、不運な人たち」


 少しおどけたように話すその男は執事のような恰好をしていた。唯一違ったのはマジシャンが使うような黒いシルクハットを被っていたことだった。そのシルクハットと薄暗さから顔はよく分からない。


「うおおおおお!」

「お、おい!」


 一人の看守が剣を振りぬいて飛び掛かる。その判断はむしろ良かったと言える。こんな時間の来訪者など普通の人間であるはずがない。間髪入れずに切り捨てるのが上策である。しかし、いかんせん技量差が開きすぎていた。


「良い、良いですね」


 ガランと重い金属の音が石畳の廊下に響き渡る。廊下に転がる看守が持っていた剣とその手首。


「……え?」


 飛び掛かった看守は先に廊下に落ちた自分の剣と手首を見て、そして自分の手首が切り取られていることに気付く。何故切れたのか、何で切られたのかは全く分からない。何故なら何も見えなかったからだ。


「あああああぁぁぁ、う、うで!俺のうでがああ!」


 思い出したかのようにあふれ出す血液が石畳を濡らす。


「ああ、良い。その恐怖。実に美味ですねえ」


 執事服の男はバレーボールように看守の頭部を鷲掴みにする。


「ひっ……!」

「もっと下さいね」


 すると看守の男の体が黒く染まり始めた。勿論抵抗する看守だが、それは何の意味も為さない。まさに空しい抵抗。


「頂きます」


 黒くなった看守の体が黒い靄のようなものに変化すると執事服の男の手の中に吸い込まれていった。


「ひ、ひぃぃぃ!」


 一部始終を見せられたもう一人の看守は腰が抜けたのか石畳の上でじたばたと藻掻いている。


「ああ、あなたも中々美味しそうですね」


 ゆっくりともう一人の看守に近づいていく執事服の男。腰が抜けて逃げられない看守の前で屈みこみ、看守の顔を覗き込む。そこで看守は初めてその執事服の男の顔を見た。それは不気味な程整った顔立ちをしていた。淑女が見たら歓声を上げるくらいの美青年。


「ありがとうございます」


 淑女が見たら一発で恋に落ちてしまいそうなスマイルで執事服の男は同じようにもう一人の看守も食った。


「さて」


 美味なものを食した後のように舌なめずりをする執事服の男は誰もいなくなった石畳の廊下をさらに奥へと進んだ。その先は言うまでもなく牢獄である。

 執事服の男は上機嫌で奥へ奥へと進み、ある一つの牢の前で足を止めた。


「ごきげんようヴィクトリア王」

「誰だお前は」


 恭しく首を垂れる執事服の男。


「私はあなたを解放に参ったのです」

「……解放だと?」

「ええ」


 にっこりとほほ笑む執事服の男。


「ああ、ヴィクトリア王。悲劇の王よ。貴方は何も悪くない。なのにこうして不遇な扱いを受けていらっしゃる。貴方は民を想って行動し、導いた。その結果がこんな恩を仇で返すようなしっぺ返しだなんてバッドエンドにもほどがありましょう?」


 まるでオペラを歌うように言う執事服の男。普通なら怪しげな男に警戒する場面ではあるが、ヴィクトリア王は初めて自分の理解者が現れたことに歓喜した。


「そうだ!その通りだとも!私は民を想い、苦渋の決断をしたに過ぎない。本来であれば感謝されこそすれ、牢に閉じ込めるなどあってはならないことなのだ。一体今まで誰がこの国を支えてやったと思っているのだ。全く、有象無象にはこの崇高な理念など理解できないのだな」


 得意げにまくし立てるヴィクトリア王。


「そうでしょうとも。そうでしょうとも。して、ヴィクトリア王よ。今回の件、原因は何なんでしょう?」

「原因だと?決まっている!あの無能な勇者、チハルとかいう輩だ。あやつが無能にも関わらず民を間違った方向に先導し私を貶めたのだ。あやつが何もしなければ民は何も知らないまま平穏無事に事は終わっていたのだ。あやつさえしっかり処分できておれば……」


 ヴィクトリア王はわなわなと拳を震わせる。執事服の男はその答えに満足したのか。うんうんと大きく頷く。


「その通りでございますヴィクトリア王。どうでしょう?私であれば陛下のその本懐、お手伝いすることが出来ると思うのですが?」

「何だと?」

「ですから、あの無能な勇者に復讐されたいのでしょう?」


 執事服の男は口の端を釣り上げて不気味に笑っていた。そこで初めてヴィクトリア王はこの男の得体の知れなさを不気味に感じた。


「そ、そんなことが可能なのか?」

「ええ、私に不可能はありません。例えば」


 執事服の男が軽く片手を振る。すると鉄格子のいたるところが一瞬小さく光ったかと思うとこれまた一瞬にして鉄格子がばらばらに切られて石畳を打ち付けた。からんからんとけたたましい金属音が響き渡る。


「こうして陛下を牢獄から解き放つことも簡単でございます」


 呆然とするヴィクトリア王にまた恭しくお辞儀をする執事服の男。


「さあ、王よ。こちらへ」

「……貴様、一体何者なのだ?」


 ヴィクトリア王はゆっくりと立ち上がりながら執事服の男に問う。


「私ですか?うーむ、生憎生まれたばかりで名は無いんですよ。私にとって名前なんて何の意味もないですからね」

「名が無いだと?では私は貴様を何と呼べば良いのだ?」


 そう言われ執事服の男は初めて困惑の表情を見せた。今まで考えたこともなかったようである。


「なるほど、それもそうですね。ではこれから私のことはデッドリーディジーズ【死に至る病】とお呼びください。それが一番しっくりきます」

「デッドリーディジーズ……。長いな、ディズではダメか?」

「ほぅ、ディズ。宜しいですよ。私も気に入りました」


 ディズはニッコリとほほ笑む。


「ディズ。ここから解放してくれたことには礼を言う。しかし、一つ聞かなければならないことがある」

「何でしょう王よ」

「貴様の目的だ。まさか無償で私を助けるわけではあるまい?」


 そこがヴィクトリア王にとって一番重要なことであった。こんなうまい話には必ず落ちがあるはずだ。


「そうですね、しいて言うなら私の目的とヴィクトリア王の目的が一致しているということでしょうか?」

「……それはディズもあのチハルという勇者を狙っているということか?」

「はい、その通りでございます。私はあの勇者を殺すために生まれました。そして、私の目的は今この世界で一番勇者チハルを憎んでいるものと手を組む。それがヴィクトリア王。貴方だったのでございます」


 なるほど、聞いてみればおかしな話ではない。恐らく、今この世界で勇者チハルを一番憎んでいるのはこのヴィクトリア王で間違いないだろう。


「なるほど、得心がいった。ならば遠慮なく頼らせてもらおう」

「御意、陛下の御心のままに」

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