第2話 他人はみんな宇宙人

「ロボットの疑惑」という哲学的なテーマがある。


これは、自分の周りにいる他人が、実は人間そっくりに作られたロボットなのではないか、という疑いだ。人間そっくりに作られていて、話しかければ返事をするし、向こうから話しかけてもくるのだけれど、実はそれはプログラムに過ぎなくて、意識がないのではないか。


この問題は十分に興味深い問題だと思うけれど、わたしはあまりリアリティを感じない。なぜ感じないのかと言われても分からない、なぜか感じないだけである。ところで、哲学的な問題を考える際に、このリアリティを感じるかどうかというのは圧倒的に重要なことだと思う。リアリティというのは、本当にそうなんじゃないかと感じてしまう、その感じのことだ。わたしは専門に哲学をやったことがない、ただの哲学フリークだけれど、リアリティを感じないと本当にはその問題を考えることはできない(考え続けられない)ということは、はっきり言っていいと思う。


わたしが他人に対して持つリアリティとは、実は他人というのはみんな宇宙人なのではないかというものである。人間の姿形を取ってはいるけれど、本当は全然別の星からやって来ていて、人間らしく振る舞っているのではないか。……まあ、宇宙人というのは比喩であって、別に地底人でも何でもいいのだけれど、とにかく、人間とは全然違う存在なのではないか、というものである。


別にいつもこんなことを考えているわけではない。いつも考えていたら、哲学者かオカルト研究者かSF作家になっているか、それとも、病院に入っていることだろう。じゃあ、どういうときに感じるのかと言うと、言葉が無い世界というものを想定したときである(まあ、こういう想定をするということ自体がアレかもしれないが)。言葉が無いので、近くにいる人を見ても、それを「人」と認識することができない。「人」という言葉が無いからだ。四本足で歩いていて、服を着ていて、なんてことも考えることはできない。「足」とか「服」とか、そんな言葉も無いからである。とすると、「それ」は、一体何なのか。


言葉があるから、他人を「人」として認識できる。言葉が無いと他人は「人」ではなくなる。


こうなると、言葉があるというのは、ほとんど奇跡的な事態ではないだろうか。言葉があるから、他人を人として、自分の仲間として認識できる。言葉があるから、他人と考えを通じ合わせることができる。


では、その他人そのものとは一体何なのだろうか。言葉があるから、認識できたり、考えを通じ合わせることができたりする、その他人とは一体何か。そういうとき、もしかしたら、こいつは同じ言葉を使ってはいるけれど、全然自分とは違う存在なのかもしれないという疑いが現われる。しかし、そもそもが、「自分」とか「違う」とか「存在」なんていうのも全部言葉なのだから、その意味では、同じ言葉を使うというそのことが、同じ存在であることを表しているわけなので、そんなことは言えないのか。いや、しかし、本当にそうだろうか……。


こんな流れで考えてくると、言葉の奇跡性に驚くとともに、どうもこの他人というものが不気味な存在に思えてくるのである。言葉があるからつながっていられるけれど、もしも言葉が無かったらつながれない存在。他人なんて、言葉によってかろうじてつながっていられるだけの……いや、そういう言い方も言葉なのだから、そう言うことはできないのかもしれないけれど、ともかくもよく分からない存在として、他人は、わたしの前に立ち現れてくる。


そうすると、自分のことが他人に分かってもらえないとか、自分の言っていることが通じないというのが、当たり前のことのように思えてくる。一応、同じ言葉を使ってはいるものの、彼らの本質は宇宙人なのだから、地球人であるこちらの気持ちが伝わらなくてもそれは当然のことであるというように。

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