第104話 もしあなたの人生が苦しいものなら、話はそこからしか始まらない

「人生」というと、ちょっと大げさに聞こえるかもしれないけれど、「生活」とすると、ニュアンスが異なるので、やっぱり「人生」としたいのだけれど、もしも、あなたが自分の人生を、苦しいもの、あるいは、苦しいとまではいかないけれど、なんとなくつまらないもの、だと感じているとしたら、話はそこからしか始まらない。この世の中には、「人生は『本当は』楽しく面白いものだ」という言説があふれているけれど、そういうものは、みなウソである。もちろん、そういうウソにうまくだまされることができるのであればそれはそれでいいかもしれないけれど、いったんうまくだまされても、いつか気づかないとも限らないわけで、それよりは、ウソを信じることなく真実を見据えた方がよかろうと思う。


で、また、「真実」というと、これもこれで大げさに聞こえるかもしれないけれど、これは、「本当のこと」と言い換えてもいい。ニュアンスは変わらない。人生に関する本当のこととは何か。それは、あなたの人生は、あなたのものである、というこのことである。これは、前にも書いたことだけれど、いくら強調しても強調しすぎることはない話だ。「そんなことは言われなくても分かっていますよ。だから、わたしはわたしの人生を誰かと取り替えることもできず生きているじゃないですか。このつまらない人生をね」と反論する人もいるかもしれないが、そう言って反論する人は、まったく分かっていない。その人生が面白かろうがつまらなかろうが、人生というのは、あなたにとってはそれ一つきりであって、それを生きる他ないというこのことを。


あなたの人生には類例がない。類例がないということは、実は、その人生が面白いとかつまらないとかそんなことを言う余地がないということを表わしている。というのも、面白いとかつまらないと言うためには、他との比較が必要だからだ。しかし、そんな「他」というものは存在しないのである。確かに、他人にもその他人の人生があるわけで、その他人の人生をうらやんだりさげすんだりできるという点において、自分の人生とその他人の人生を比較することができるように思えるかもしれない。しかし、他人の人生は定義によって他人のものであるわけだから、絶対に、自分のものにはならない。他人の人生が自分のものになったら、それは自分の人生になってしまう。自分の人生というものが一つしかないというこのことの意味を、しっかりと感じ、考えてみてほしい。


さて、人生には面白いとかつまらないとかそんなことを言う余地がないと、わたしは言ったけれど、でも、現に、つまらない、あるいは苦しいという気持ちは、それでは、いったいどこから来るのだろうか。そのつまらなさ、苦しみはどこから来るのか。それらをしっかりと見つめてみることを、わたしは、お勧めする。他人の人生と比較ができないはずであるのに、他人の人生に比べて自分の人生がつまらなく苦しいように感じるとしたら、その感じは、どうして現われるのか。そのつまらなさ苦しみを、ウソでごまかさず見つめることで、あなたの、人生に対する態度は確実に変わってくることだろう。

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