第105話 他人とたわむれることの無意味

今回書きたいのは、他人とたわむれることの弊害である。他人とたわむれるというのはどういうことかと言うと、何かに関する他人の意見をありがたがって聞いたり、自分の意見に対する他人の同調を求めたり、つまりは、他人と意見交換することである。これ、意味ないです。いや、意味があるものは意味があるけれど、意味が無いものは意味が無いと言ったほうがいいか。意味があるものは、ある。しかし、その意味というのは、どういうものかと言えば、それによって具体的に自分の行動が変わるということだ。


他人と意見交換することによって、何かしら自分の行動が変われば、それは意味があるけれど、他人と意見交換しても、何ら自分の行動が変わらなければ、そんなものには何の意味も無い。たとえば、ワイドショーのコメンテーターの意見を聞いて、「なるほど、そういう考え方もあるのか、これは一つ利口になった」と思って、しかし、まったくその後の生活態度が変わらなければ、以前と何も変わっていないわけだから、聞いただけ無駄だということである。あるいは、逆の立場でもいい。人に対して、何かを言って、言われたその人の行動が以前と何も変わらなければ、あなたが言ったその言葉は、何の意味も無いということである。


この意味の無い、まさに「たわむれ」としかいいようのないことが、そこかしこで行われている。SNSの隆盛によって、それはいっそう激しくなったことだろう。あることに対して意見を言い、あるいは、意見を聞いて、それでおしまい。何一つ昨日と変わらないまま、また、何一つ変わらない明日を迎える。


一度、他人との交わりを断って、自分とじっくりと対話してみたらどうか。一日、SNSを見ない日を作ってみる。いや、見てもいいのだけれど、SNSで取り上げられている問題について、他人のコメントを見ず、自分も簡単にコメントを投稿することを控えて、じっくりとそれについて思いを致してみる。ある問題を、じっくりと考えることによって、どうしても自分にはそう思われるという結論に到達したなら、それは、必ず、その人の行動を変えるはずである。

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