第106話 思考力というのは、0から1を作り出す力のことではない

しばしば誤解されていることの一つに、思考力に対するイメージがある。思考力、論理的推論能力、問題解決能力と、呼び名はなんでもいいのだけれど、要は考える力のことである。どうも、この考える力については、ある物事に対して独創的な見方をする能力だと思われている節がある。0から1を作り出すような。しかし、それは違う。


0から1を作り出すことなど、誰にもできない。無からの創造は神の御業である。独創的な見方をしているように思われても、その独創には、必ず、他の見方の否定があるわけであり、それなしにはその見方は成立しなかったわけだ。ガリレオだって、いきなり、「地球って太陽の周りを回っているよな」と思ったわけではないし、デカルトも、唐突に、「我思う故に我ありだな」という結論に至ったわけではない。太陽が地球の周りを回っているという見方の否定や、疑わしい考え方の否定によって、そういう結論を得たわけである。


史上に燦然と輝く大科学者・大哲学者でもそうなのであれば、まして、われわれ、多数の一般人は、推して知るべしだろう。事実がそうであるにも関わらず、独創性を育てろ、個性を育てろという文脈上に、思考力が置かれていて、思考力というのは独創的な物の見方をすることだと思われているのは、それこそが何も思考していないことを示していて、なかなか皮肉である。


では、思考力とはどういうものか。0を1にする力のことでなければ、どのようなイメージを持つべきものかと言われれば、わたしなら、100を101にする力だと答えたい。これまでの考え方・見方を、さらにちょっとだけ発展させる力のことだ。そのためには、これまでの考え方・見方というものを、十分に理解しなければならない。100をしっかりと理解する。その上でなければ、1を加えることなどできない。


さて、しかし、この100を理解するということが、どれほどなおざりにされていることか。100どころか、50くらいしか理解されていないこともあれば、誤解のせいで、-20になっていることもある。100をしっかりと理解していないのに、独創性という言葉に踊らされて、自力で考えていると誤解した結果、進歩どころか退化しているありさまである。


あるテーマに関して、すでに述べられた意見なり考え方なりというものがある。まずはそれをしっかりと理解しよう。幸いなことにネット社会である。調べようと思えばいくらでも調べられる。100を十全に理解しようとすることが、思考力を身につける第一歩である。

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