第103話 自分自身の気持ちや意見をじっと見つめてみること
古代ギリシャの哲学者であるヘラクレイトスは、「自分自身を探求して、すべてのことを自分自身から学んだ」と語ったと言われている。この言葉、ちょっと読んだだけだと、「すべてを自分から学んだだなんて傲慢な人だなあ」、とか、あるいは、「すべてを自分から学ぶなんてできるはずないじゃん、バカだなあ」とか、逆に、「そんなことができるなんて、やっぱり哲学者はすごいなあ」とか、そのような感想を抱くかもしれない。
この「自分自身」というものを、ヘラクレイトス個人というものだと考えてしまうと、そういうような感想を抱いてもやむをえないところである。しかし、そうではなくて、この「自分自身」というものを、この世界に向かい合う、たった一つの主体としてとらえてみたらどうだろうか。
わたしたちは、各人が、この世界に向かい合う主体である。この「各人」という言い方がちょっとくせもので、各人がそうであるなら、その数だけ、主体があるわけだから、たった一つの主体などというものはなくなってしまうことになるのだけれど、本当はそうではない。
もっと簡単に言います。
この世の中に、人間はたくさんいるけれど、あなたという人間は一人しかない。あなたの人生は他に類例がない。仮にどんなにつまらない人生だと思ったとしても、そのつまらない人生を生きているのは他ならぬあなたしかおらず、他の人の人生を生きるわけにもいかなければ、他の人にあなたの人生を代わって生きてもらうわけにもいかない。
とすれば、あなたが、この世界に対して、自分の人生に対して向かい合って得たものは、かけがえのないものであるということである。それに対して、他人が他人の世界や、他人の人生から得たものは、あなたにとって価値が低くなる。だって、それは他人のものだから。
他人の言葉を聞く前に、自分の人生から自分が得たものを、もっと大事にしたほうがいい。それは正当なことであるし、そうして、その方がずっと面白いことでもある。
「人生から得たもの」なんて言うと、ちょっと大げさだけれど、もっとこれは身近な話で、たとえば、日々のニュースに抱く感想があったとして、コメンテーターや識者の意見を聞く前に、あるいは、聞いたあとでもいいけれど、どうして、自分はあるニュースに対して、そういう感想を抱いたのかをじっと考えてみる。ゴーンさんが国外逃亡したことに関して、卑怯だと思ったとしたら、どうして、自分はそう思ったのか、自分の気持ちをじっと見つめてみる。すると、そこから、開けてくる世界がある。なぜ卑怯だと思っているのか。そういう思いを抱く気持ちの底にあるものはなんなのか。そのまま自分の気持ちをじっと見つめ続けると、徐々にその世界は広がっていき、ついには、「この世界」と同じところまで拡大していくことになる。
自分自身から全てを学んだというのは、このような意味においてである。
自分自身の気持ちや意見を手放さないこと、それは、固執するというのではなくて、それをじっと見つめるということである。そうすることで、あなたは、あなた自身のことをもっと知ることができるようになり、その分、あなたの世界は豊かになる。
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