第9話 ぼんやりと物を考える妙味

ぼんやりと物を考えるのが好きだ。あることについて、ああでもないこうでもないと考え続けることには、得も言われぬ妙味がある。結論が出るかどうかなんてことはあんまり関係がなくて、そのプロセスが楽しい。そもそも、わたしが考えていることは、何をもって結論とすればいいことなのか分からないようなことである。ペンはどうしてこの形だったのだろうか、他の形ではいけなかったのか、などとそんなこと考えても結論が出るはずもない。どうしてそんな結論が出ないことを飽かず考えるのかというと、不思議だからだ。別にペンだけを取り立てて不思議がっているわけではない。あるものがどうしてそのものであったのか、ということが不思議なのである。こういう感覚というのは、言って伝わるものではなく、あんまり躍起になると、変な人だと思われるので、あんまりは言わないことにしている。


不思議感覚に導かれて、この世の中、この世に生きる自分、つまり人生についてあれこれと考えているわけだが、人生について考えることは、決して人生論にはならない。人生論とは、人生の指針を述べるものだが、そもそも人生が何であるかが分からないのに、その何であるか分からないものの指針を述べることなどできようはずもない。述べられても全く意味が分からない。……と思っているのは、どうやら少数派のようであって、大多数の人にとっては、人生というのは自明なものであるようだ。ちまたは、人生論で満ちあふれている。


人生こう生きるべきだとか、これで人生決まるとか、率直に言って、ああいうものを信じる人とは人種が違うと感じる。悪いと言っているわけではないけれど、あのような人生論を利用して、人生を生きなければならない人たちは大変ではないのだろうか。「べき」に導かれて、強迫的に生きなければならない心情を思うと、わたしなんかにはとても無理である。そんなものポイッと捨ててしまえば楽になれる……というのは、こちら側の言い分で、あちらは、それが正しい人生の生き方だと信じているのだから、そんなことを言うのは大きなお世話なのだろう。

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