第5話 本を読む時間を半分に減らして、その分、考えよう
世の中、本が好きな人が多い。いや、多いような気がする。データを知らないので、確実なことは言えないけれど。中には、1日1冊読んでいるという剛の者もいるようである。わたしも、本は好きで、とても1日1冊なんてわけにはいかないけれど、ちょこちょこと読んではいる。
ところで、本を読む目的が、ただ本が好きで好きで楽しみのために読んでいるというのではなく、知識を得ることにあるとしたら、本を読む時間を半分にして、その半分をその本の内容について考えることに使うことをお勧めする。まあ、受験用参考書のようなマニュアル的な本は、そこに書かれている以上に考えることなどないので、ただ読めばよいだけだが、世界についての真実を説く本、特に、哲学書、思想書などは、ただ読むだけでは生半可な知識しか手に入らない。
たとえば、プラトンの著作(やその解説本)をただ読んで、「プラトンは、イデア界というものを信じていて、この世界にあるものは、イデア界の劣化コピーだと考えていた」と語れるようになったとする。しかし、そんなことを語れたところで、もしも、プラトンがイデア界というものを想定せざるを得なかったその精神のギリギリの緊張を追体験できていなければ、何の意味も無いことだ。
あるいは、マルクスの著作(やその解説本)をただ読んで、「これまでの全ての社会の歴史は、階級闘争の歴史である」と言えるようになったとする。しかし、そんなことが言えたところで、マルクスがなぜそう言わざるを得なかったのか、歴史を階級闘争の歴史ととらえざるを得なかったのか、が深く感じられなければ、なんとなくインテリに見えるというただそれだけの役にしか立たない。
考えることなしにただ摂取された生半可な知識。よく、インプットのために本を読むという言い方がされるが、インプットするのがこのような知識だとしたら、本を読む価値は、ほとんど無いと言ってよい。なぜか。そのような知識は、この情報社会では、いくらでも瞬時に調べられるからである。
そういう知識を溜めるマニアになりたいというなら、話は別である。世の中いろいろなマニアがいる。うんちくマニアを目指すことは、何も悪いことではない。しかし、もしも、本を読むことで世界の真実に切り込みたいと願うなら、自分の思考という刃を持つべきだ。ただその本を読むだけではなく、そこに書かれていることを自分でよくよくと考えてみなければならない。
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