第6話 夢の不思議

ひどい夢を見て、起きた。


わたしはあまり夢を見る方ではない。話によると、夢というのは誰しも毎晩見ていて、目覚めたときにそれを覚えているかどうかによって、「見た」とか、「見なかった」と言うことになるらしいが、まあ、それはそれ、とにかく、昨晩は、見た(ことを、今朝覚えていた?)。


この「夢」というものは、考えてみると随分とおかしなものではないだろうか。夢を「見る」と言うけれど、一体「何が」見ているのだろうか。肉体の目は閉じているわけである。そうすると、心の目と言いたくなるけれど、心の目というのは比喩に過ぎない。そもそもが、「見る」というのは、肉体の目による行為であって、それによらない限りは、夢を「見る」とは本当は言えないのかもしれない。この点では、夢を見ることを、see「見る」を使わずに、I have a dream.と表現する英語の方が、より正確に事態を言い当てているかもしれないとも思われる(が、しかし、どうもわたしは、この「I」というのが好きになれない。何かをしているとき、そこに、「I」〈わたしが〉と言う必要はない)。


夢の中では、「見る」だけではなくて、「聞く」ことも「感じる」こともできる。「何が」それらをしているのかと考えると、不思議なことである。この夢という形式自体の不思議さに比べれば、夢の内容などは大したことではない。夢の内容を、深層心理のあらわれとかなんとか説明されているようだけれど、そんなことよりも、なにより、まず夢という形式があること自体が驚くべきことではないだろうか。だって、目が閉じているのに、まざまざと「見る」わけですよ。こんな不思議なことって無いじゃないですか。


しかし、そうすると、夢のことばかりを不思議がってはいられなくなる。わたしは、夢を見てから目が覚めてのち、周囲を見て、しばらく、ここはどこなのか、ぼんやりと考えていた。別の世界にいたはずなのに、いきなり切り替わった、この世界はいったいどこか? そうして、ここは現実世界で、「ああ、そうか、今見ていたのは夢だったのか」と認めたわけだけれど、目や耳によって見たり聞いたりするこの世界も、十分に不思議な世界である。


もっと言えば、そうやって見たり聞いたりしている物がその物であったことが不思議。布団はなぜ今のようなものであったのか、別の物であることはできなかったのか。あらゆる物はどうしてそれらの物であったのか、世界はなぜこの世界でなければならなかったのか、ということがどうにも不思議でたまらなくなる。なにも、不思議なことを求めて、ミステリー番組を見る必要はない。夜見る夢、目覚めてのちの現実、これら普通のことは、十分に不思議なことなのである。

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