第7話 「通」常的なものの不思議

引き寄せや、占いや、超能力や、その他スピリチュアルなものについて、あれらのものを強く信じ込む人もいれば、躍起になって否定する人もいる。わたしは、そのどちらにも与さない。あればあったで別に構わないくらいの気持ちである(ただし、瞑想と易にはちょっと興味がある)。


強く信じ込む人も、躍起になって否定する人も、どちらもあれらのものが超常的なものであることは共通して認めていることと思う。超常的なものであるので、「ありがたい」とか、「信じられない」という態度になる。


あれらのものを超常的であると認めたとしよう。それでも、わたしがあまり興味が湧かないのは、あれら超常的なものに興味を持つのであれば、通常的なものの何であるかを認識する方が、順序としては先ではないかとどうしてもこう思ってしまうからである。


通常的なもの、すなわち、自分というものがいて、それが肉体を持っていて、物が見えて、手を動かそうと思えば動かせて、他人と会話をすることができる。これは一体何なのか?


スピリチュアル肯定派・否定派だけにとどまらず、スピリチュアルに興味が無い人でも、「そんなことは当たり前じゃないか」と言うだろう。しかし、これらは、本当に当たり前のことなのだろうか。


わたしにとっては、これらは十分に訳の分からない不思議なことで、取り立てて、それを超えたできごとにまで興味が行きつかない。


たとえば、守護霊というものを考えるとする。守護霊というのは、その人を守ってくれる存在らしい。でも、その前に、じゃあ、その守護霊によって守られている「人」っていうのは一体何なのだろうか、とこちらの方を疑問に思ってしまう。みな、「人」というものを自明なものと見なしているようだけれど、わたしなんかは、「人」というものが、手足を持って言葉をしゃべってあれこれやっているということが、時に滑稽で、時に不気味で、不思議なことこの上ない。


それをあんまり考え詰めたり、人様に向かって語ったりすると(まあ、今、現に語っているが)、入院することになるかもしれないので、しないようにしているが、わたしにとっては、「人」なんていうものは、全然自明なものではない。その自明でないものを「通常」として、すっとばしておいて、その「『人』を守る存在」なんていう超常的なもの、考えることもできない。


というような次第で、わたしは、通常が解決されなければ、とても超常にまで行き着かない。そうして、通常が解決されることなど果たしてあるのだろうかと考えると、答えは否定的であり、この先も、あまりスピリチュアルには縁が無いように思われる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る