第59話 哲学者は答えなど出していない
また同じようなことを書こうと思う。
何度も何度も同じようなことを書くのにはわけがある。消極的な理由としては、同じようなことしか考えていないので同じようなことしか書けないというものだけれど、積極的な理由としては、何度も書くことによって、それだけ人の目に触れる可能性が高くなるからだ。「人」と言っても、不特定多数のことではない。誰でもいいから読んでほしい、なんてことは、わたしは全く考えていない。わたしが書いているのは、常に、きっと言葉が通じるただ一人、つまり、あなたのためだ。
で、何を書くのかと言えば、自分で考える、というこのことである。
以下のような本がある。
「その悩み、哲学者がすでに答えを出しています(文響社)」
内容紹介にこうある。
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「将来が不安」「お金がほしい」「死ぬのが怖い」
これらの現代人の悩みははるか昔から私たちを苦しめていた人類共通の悩みです。であるならば、哲学者たちはこれらの悩みに答えを出しているはずです。平易な言葉で哲学を学べて、あなたの悩みが解決する1冊です。
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なるほど、「将来が不安」「お金がほしい」「死ぬのが怖い」というのは、人類にかなり共通する悩みかもしれない。だとすれば、人類の一部である哲学者たちもそれについて考えたかもしれない。
しかし、である。だからといって、哲学者たちがそれらの悩みに答えを出しているはずということにはならない。ならないし、現に出してもいない。
なぜそう言い切れるか。
それは、もしもそれらの悩みについて、哲学者が答えを出していたとしたら、もうその悩みは存在しないはずだからである。わたしたちが飽かず、「将来が不安」「お金がほしい」「死ぬのが怖い」と思い続けているということは、それらの悩みについて答えなんか出ていないことの明らかな証拠ではないか。
答えが出ているのにも関わらず、どうしてその悩みは消えていないのか。その答えは、答えとは言えないのではないか。
この当たり前すぎる感覚を持つことこそが、自分で考える第一歩である。
哲学者に関して言えば、彼らはある問題について答えを出した人たちではない。ある問題を問題として認識した人たちである。世界の神秘を解消した人たちではない。世界に神秘があることを発見した人たちである。
上のような人生のお悩み解決本を読む人は、先に答えを求めている。そこに答えがあるはずだと思い込んで読むから、本来は答えでも何でもないものを、答えだと思い込んでしまうことになる。これが、自分で考えていないというそのことである。
もしも答えが出ていたら、それについてもうそれ以上問うことはない。これは、小学生にでも分かる理屈だろう。しかし、自分で考えない人は、こんな簡単なことがまったく分からない。分からないで、いつわりの答えを得て、少しすると、「なんか違うな」と思い、また別の本の中に、またいつわりの答えを求める。いつまで経っても求めるものはあらわれない。当たり前だ。そこに答えなど無いのだから。
答えを得るためには、自分で考えるしかないのである。「死ぬのが怖い」という自分の不安に対して、自分以外の誰が答えを与えてくれるというのか。
他人の「答えらしきもの」を信じ込むのは容易なことである。一冊1,700円の本で死の不安が解消されれば安い話だ。しかし、それはそのまま、あなたの人生の容易さと安っぽさへとつながっていく。不安を解消したければ、あなた自身がその不安に向き合うほか、方法は無い。すなわち、自分で考えるしかないのである。
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