第49話 信じ込んでいることを一つ一つ捨てちゃいませんか?

この頃、「生きる」ということについて、ちょこちょこ書いている。なぜということもない。特にこれ以外に書くべき事も無いのだ。で、また、しょうこりもなく書かせてもらうことにするけれど、人は、生きていく中で、いろいろなことを信じ込むものである。「いや、わたしは何も信じてなんかいない」と言う人だって、明日が来ることは信じていることだろう。その他にも、いろいろなことを信じているはずである。朝見知った人に会ったら挨拶しなければいけないとか、プリンにはカラメルソースをかけなければいけないとか。


そういう信じ込んでいることをですね、一つ一つ捨てていったらどうでしょう。ポイポイッと。信じ込んでいることというのは、自分を縛るもの。そんなもの捨ててしまえば、その分だけ自由になることができる。


たとえば、あなたに恋人がいるとする。愛しい彼、もしくは、彼女のために一生懸命尽くしているとしますね。しかし、ちと尽くしすぎて疲れ気味。そんなときは、「愛が大事だと思ってこうやって尽くしているわけだけれど、これ本当に大事か?」と疑ってみて、ポイッと愛情と恋人を捨ててしまったらどうでしょう。


そんな簡単に言うなよ、と思うかもしれない、というか、これを読んでくださったほとんどの人がそう思うことだろうけれど、でも、実際ですよ、捨ててみないと、そのものに本当に価値があるかどうかっていうのは、分からないわけですよ。失ってみて初めて分かる価値とよく言われる。しかし、失ったそのものに価値がある場合もあるだろうけれど、価値が無い場合もあるわけです。失ってみて初めて分かる無価値。もちろん、本当に価値あるものかもしれないので、そうそう簡単に捨てられないかもしれない。捨てるのは簡単だけど、もう一度手に入れるのは難しいもの。だとしたら、頭の中だけででも考えてみるといいと思います。捨てちゃったらどうだろう、と。「価値がある」という思い込みを捨てる。


まあ、愛情とか恋人を捨てなさいというと、あまりに非人間的に聞こえるので、もっと人間的なことを言うと、あなたが、生きるために金科玉条としていることを捨てることをお勧めします。「人生かく生きるべし」的なやつですね。「嫌われる勇気を持て」とか、「自分の機嫌を自分で取ろう」とか、「小さなことにくよくよするな」とか、なんとかかんとか、そういうのです。そういうものを取り入れるごとに、あなたの人生は狭く小さなものになる。せっかく開けている広大な宇宙が、手の中におさまるほどのものになる。取り扱いは簡単になるけれど、面白さは激減する。面白さなどいらないのだ、と言われると、人の生き方は人それぞれ、無理強いはできないのだけれど、それはやはりちょっともったいない気がする。

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