第84話 彼女はなぜ、きれいになったのか
今春が来て君はきれいになった
去年よりずっときれいになった
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「なごり雪」という歌の一節である。人口に膾炙した歌だから知らない方はいない……と思うのは、単に自分が知っているからに過ぎないことが多いので、知らない方は一度聴いてみてください。別れと旅立ちを美しく歌った良い歌ですよ。
歌詞の中に、
今春が来て君はきれいになった
去年よりずっときれいになった
という一節があるわけなのですが、これは何ということもない一節のように思われますし、事実、まあ、何ということもない一節ではあります。日常わたしたちがよく見聞きすることであって、共感できることでしょう。よく知っているはずの人が、一年会っていない間に、まるで別人のような趣になって現われる。中三のときのクラスメートに、一年後のクラス会であったとき、あか抜けた別人のような美人になっている。そこから始まるラブストーリーは少女マンガに任せておくことにして、ここで少し考えてみたいのは、なぜ、彼女はきれいになったのかということです。
なぜきれいになったのか。会っていなかった一年間の経験によるのだ、というのが素直なところで、これ以外に考えにくいところなのですが、これは本当なんでしょうか。彼女は、何かしら、きれいになるための経験をしたことで、きれいになったのか。中三のときのクラスメートは、高校に入ることで高校生活に揉まれる中であか抜けたのか。あるいは、そうかもしれない。でも、そうではないかもしれません。彼女は、ただきれいになったのではないか、というのがわたしが感じていることです。春が来て綺麗になった。彼女が綺麗になった原因は、ただ春が来たことによるのではないか。
ただ時が巡ることによるだけで美しくなる時期というのが人間にはあるのではないかと思います。もちろん、それは、若い頃です。若さの美しさというのは、時の祝福を受けていることによるのではないでしょうか。「自分磨き」という言葉がありますが、若い頃は、自分で自分を磨く必要が無い。時が彼女を磨いてくれる。春が来れば自然と去年よりずっと美しくなっているという寸法です。
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わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
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これは、茨木のり子という詩人の詩の一節です。時代状況のせいで、彼女は自分の「一番きれいだったとき」を享受できなかったわけですが、しかし、そのきれいさは、彼女自身が作ったものではないのです。彼女はいつの間にかきれいになっていたのです。彼女のきれいさは、自助努力によって作り上げたものではなく、時から与えられたものなのです。同時に、時は、それを彼女に享受させない時代状況も与えたわけですが、いつの間にか綺麗になっていたのだということ自体は、彼女の場合も、平和な世に生きるなごり雪の彼女の場合も変わらない。
青少年の美しさが、時の祝福を受けて生きていることにあるのだとすると、ひるがえって、中高年の美しさがどこにあるのかと、中年であるわたしは考えざるを得ません。もう年々歳々美しくなることはできないとしたら、どこに美しさがあるのでしょうか。それは、これまで述べてきたような認識のもとにあるのではないかというのがわたしの考えです。かつてわたしにも若い頃があった、時を過ごすだけで美しくなることができた時期が確かにあった。しかし、今ではそれは失われていて、もう二度と還ってくることはない。そういうことを認識できるところに、中高年の美があるのではないかとわたしは思います。美しさを作り出す「時」そのものを認識することによる美です。
若々しくあろうとして、アンチエイジングなり自分磨きなりを行うのは、それはそれで結構ですが、そんなことをしても若さそれ自体を取り戻すことは絶対にできません。その不可能性を享受すること、「おしゃれのきっかけを落としてしまった」としても、確かに「一番きれいだったとき」は存在したのだと認識することができるかどうかという点に、中高年の美しさはあらわれる。それは、青少年にはできないことなのです。
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