第83話 哲学バカに惑わされるな

「考える」ということが、何か特別な能力や技術であるかのように、思われている節がある。確かに、「考える」というのは、漠然ともの思うことではないが、だからといって、何かしらのトレーニングを経ないと獲得できないような特異なものではない。「考える」というのは、能力や技術ではなく、欲求である。本当のことを知りたいという欲求が、考えるというそのことである。なんにも難しいことはない。


でも、難しく考えている人いますよね。いかにも、ものを考えていますよと言わんばかりに難しい言葉を使う人。断言してもいいですが、そういう人はまず全くものを考えていません。アインシュタインも、「6歳児に説明できなければそのことを理解しているとは言えない」と言っております。実存主義、構造主義、ポスト構造主義、新実在主義なりなんなり、難しげな用語を振り回して喜んでいる人は、そもそも考えるということがどういう事態を指しているのか分かっていない可能性さえあります。自分が分からないことが分かっていない。無知の知ならぬ、無知の無知の状態です。


本当のことを知りたいと願い、考えたいと思うあなたは、あれら難しい用語をもてあそんで喜んでいる人――これを「哲学バカ」と呼びましょう――に付き合ってはいけません。まず確実に人生の時間を無駄にします。


そもそもが、難しげな用語というものは、実はまったく難しくも何ともなくて、われわれが普通に生きているこの現実を記述しているに過ぎないものです。「実存主義」なんて聞くと、いかめしいですけど、あんなものは、「人はみな自分の意志によらず、いつの間にかこの世に産み落とされた存在である」ということを言っているだけです。得意げに語ることでもなんでもない、ごくごく当たり前のことなのですが、あんまり当たり前すぎて普通意識されないので、それをことさらに記述すると感心されるというからくりです。


そういう、「○○主義」などの哲学用語的なものを理解することが、ものを考えているという風にとらえられる風潮は、実にバカバカしいことだと思います。そんなものを理解したところで、この現実は1mmたりとも動きません。わたしは、そういうどこかの誰かが言ったことを援用してものを考えた気になっている人が、グリーンピースと同じくらい嫌いです。自分で考えたいと願う素直なあなたは、そういうくだらない哲学バカに惑わされないようにしなければいけません。そのための助けとなればと、わたしが書くのは、一つには、そういう思いに基づいています。


哲学用語を理解しなければ考えることができないということはありません。もしもそうだとしたら、あれら哲学用語が存在していなかったときは、人はものを考えることができていなかったことになってしまう。そんなバカなことはない。考えるために哲学なりなんなりを経由しなければいけないということは全くありません。考えたいあなたには、哲学なり現代思想なりを得意げに語る哲学バカは相手にせずに、そういう人からはそっと離れることをお勧めします。

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