第82話 「分かる」とは「分かれる」ということ

あることが分かるというのは、どのような経験なのだろうか。普通、人は、自分の外に何かしら理解すべき対象が別にあって、それを自分が理解すると考えている。


しかし、そうではない。


理解したことというのは、自分の中にすでに存在しているものである。分かる、というのは、分かれる、ということである。自分の中から分かれてきたものを、自分の中にあったものなんだと認めることが、分かるということである。


自分の外に答えは無い。答えは自分の中に在る。


自分の中に答えが在るということに気づくためには、自分の感覚に素直になることだ。素直になってじっとそれを見る。特に、周りのみんなが納得していても、どうもうまく納得ができないという感覚を持てるものだといい。


納得できないのはどうしてか、じっとそれを見つめているうちに、自分から分かれてくるものがある。ああ、そうだったのかと腑に落ちる。それが分かるということである。


決して難しいことではないのだけれど、情報過多の今日では、自分に素直になるというこのことが、ある意味では、非常に難しいことかもしれない。どうしたって、インフルエンサーの方が、自分よりも正しいような気がする。でも、そんなことはない。正しいのは、常にあなたの感覚の方である。


たとえば、「好きなことをして生きなさい」という言葉に、納得ができなかったら、その納得できない気持ちを手放さずに、じっとその気持ちを見つめてみる。どうして納得できないのか、何が納得できないのか、なぜ違和感を覚えるのか。そうしているうちに、あなたの中から立ち現れる真実がある。真実は、言葉は、いつも、あなた自身から分かれることを待っている。

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