第31話 素晴らしい考え方なのに自分自身に適用できないときに考えるべきこと
手が荒れている。
何の話だと思われるかもしれないが、わたしの手が荒れている話である。
アトピーではないようなのだが、結構ひどい。水仕事をしているわけでもなければ、力仕事をしているわけでもないのに、肌がパサパサゴツゴツしており、たまに切れて血が出る。「グロ注意っ!」ってなもんですよ。
この状態になって、しばらく経つ。皮膚科に行け、ということになるかもしれないが、行ってどうにかなるものなら、とっくに行っている。いや、行っていた。そうして、処方された薬をつけたのだが、つけている間はいいけれど、つけないと元の木阿弥になって、「これ、根本的な解決にならんな」と思って、やめてしまった。今でも、たまに市販の薬を買ってつけることはあるけれど、基本的には何もつけていない。食事と運動で何とかならないかな、と思って、そっちを気をつけている。
で、ここからが本題なのだが、薬をやめたときに、手を眺めては、「これ本当に治るんだろうか?」と不安だったわけです。特に、ただ荒れているだけじゃなくて、かゆくなるようなときはよっぽどいやーな気分になるわけですよ。
しかし、あるとき、ハタと気がつきました。
不安でいても意味無いな。
どうして意味が無いのか。というのも、もしも、死ぬまで治らなかったとしたら、今不安でいてもしょうがないわけですよ。治らないわけだから。そうして、もしも、そのうち治るとしたら、不安でいるだけ損ということになります。治るわけだから。治っても治らなくても、不安でいる意味が無い。そう気が付いたら、不安な気持ちがなくなりました。なるようにしかならんでしょ、と思うようになった。もちろん、食事と運動には気を付けていますけども。無農薬米で作られた福島のお酒飲んだりね。無農薬米で作られたお酒なんて高そうですよね? いや、これが全然リーズナブルなんですよ! 福島の酒、最高! ……話がそれた。
ところで、この不安に関する理論なんだけれども、これって、他のことにも応用できるのかと言うと、できるような気がしたわけです。わたしの人生で感じている他の不安にも適用できそうな気がした。で、できたものもあったんですが、できなかったものもあった。たとえば、収入面の不安に関しては、適用できなかった。わたしは裕福な暮らしをしているわけでは全然なくて、収入面には不安がある。その収入面の不安に関して、今後にっちもさっちも行かなくなって破産したら今不安を感じてもしょうがないわけだし、いつかの時点でお金持ちになったら今不安でいるだけ損だったことになる。「わたし不安理論」を適用すれば、行けそうな気がするのだが、収入に関する不安はなくならなかった。
理屈に合わないが、しょうがない。現実に不安がなくならないわけですから。理屈の方に現実を合わせるわけにはいきません。
で、これって、他人の考えを聞くときにも妥当する話じゃないかと思う。他人の考えに理屈で納得がいって「素晴らしい!」と思って、いざそれを自分に当てはめてみても、うまくいかないこともある。そのとき、自分の方がおかしいのではない。いくら他人の考えが素晴らしいと思っても、それは理論に過ぎない。うまくいかないのは現実である。理論の方に現実を当てはめようとするのは無茶な話である。
よく「素晴らしい考え方だからシェアしたい」と言って、他人の考えが紹介されている。それ自体を批判するものでは全然無い。しかし、読んでみて、確かに素晴らしいと思ったとしても、もしも、それがあなたの現実にうまく当てはまらなかったら、それは、あなたの方に問題があるわけではない、ということを覚えておいた方がいい。そうではなくて、その考えではうまくいかなかったというあなたの現実を見据えて、じゃあどうしようか、とまた考えをめぐらせるのである。
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