第47話 生きるということは、「あなたが」生きるということ

「君たちはどう生きるか(マガジンハウス)」という本が、2018年のベストセラーになったらしい。わたしも読んだが、内容は、普通の人生論である。人生どう生きるべきかということが語られている。こういう本がベストセラーになるということは、それだけ、生き方に迷う人が多いということだろう。生き方に迷って、生き方の指針がほしくて、人生論を読む。


さて、ここで、少し考えてもらいたいのが、そうやって、他人からもらった生き方の指針で、自分の人生を生きていくことの意味である。


誰でも認めることだと思うが、自分が誰かの人生を代わって生きることはできないし、誰かに自分の人生を代わって生きてもらうこともできない。自分の人生は取り替え不能である。あなたは、あなたの人生を生きるしかない。人生というのは、必ず「誰かの」人生でしかあり得ない。その人にとっては、その人の人生しか無いわけであって、類例というものは無い。他と比較するわけにはいかない。


ということは、人生一般なんてものはどこにも無いということである。人生論とは、そのどこにも無い人生一般について語るものである。「君たちはどう生きるか」の「君たち」という複数形にもそれがあらわれている。しかし、「君たち」で語れる人生などというものはどこにも無い。あるのは、「君」それぞれの人生だけ。


わたしにはわたしの人生しかなく、あなたにはあなたの人生しかない。わたしは、自分の人生について語ることはできるが、あなたの人生について語ることはできず、あなたはあなたの人生について語ることはできるが、わたしの人生について語ることはできない。わたしの人生とあなたの人生の間には、大いなる断絶がある。わたしの人生に、あるいは、あなたの人生に、その外側から、「人生かく生きるべし」などと命じることはできない。わたしにとって、あなたにとって、それぞれの人生こそが全てであり、その外など無いのだから。


この唯一性こそ、人生の価値ではないか。人生論を信じるということは、その価値を捨てるということである。なるほど、生きるということは不可思議なことであるには違いない。わたしだってよく分からない。この「分からない」ということを誠実に認めることができるかどうか、ここが大事なところで、分からなさに耐えられないと、嘘……とまでは言わなくても、間違っていることを信じ込むことになる。

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