第111話 言葉は常にわたしたちを待っている
小林秀雄が、「人は数多くの真実を所有できるけれど、その人の血球をめぐる真実は一つだけだ」というようなことを言っていた。この言葉がようやくこの頃、本当の意味で理解できた気がする。分かった気になっていた言葉。表面だけで理解していたつもりだったその言葉が、ふっと臓腑に落ちた。
言葉は、わたしたちを待っているのかもしれない。そんなことを、以前も書いたような気がする。わたしたちが言葉をとらえるのではなく、言葉の方がわたしたちを迎えてくれる。どうもそういうことになっているらしいのである。言葉を理解する、のではなく、言葉に教えられる。言葉に気づくのではなく、言葉に気づかされる。
言葉を軽視するということが、近頃の風潮であるらしい。軽視というとちょっと違うかもしれない。軽く視ているというのではなく、重要なものだとは考えていないということか。言葉というのは、他人とのコミュニケーションのためのものであって、上手に使うことで、人間関係を円滑にすることができる……と、そういう風に、人間が便利に利用できるものだという考え方が一般的なものだろうが、言葉はそこにとどまるものではない。
もしも、言葉が目前との他人とのコミュニケーションの手段に過ぎないものだとしたら、いつかどこかで誰かが言った言葉が、どうして、今ここにいるわたしに伝わるものか。言葉を放った人は死んだ。しかし、言葉は生きている。生きて、常に、あなたを待っている。
どうか、分からない言葉を、分からないからといって切り捨ててしまわないでほしい。分からないからありがたがる、そんなことをする必要は無いけれど、あなたに語られた分からない言葉も、分からないものとして、そっと心の片隅に置いておいてもらいたい。もしかしたら、一生涯、その言葉が分かることはないかもしれないけれど、もしかしたら、いつの日か、その言葉の意味を理解することもあるかもしれない。そのとき、あなたは、言葉の不思議を知り、確実に、あなたの人生は深みを増すことになるだろう。
言葉は、常にあなたを待っている。
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