第142話 喉元過ぎれば熱さを忘れる人生の形式
前の記事で、「嫌なことをしなければいけない、ああ、嫌だ、嫌だ」と書いたが、それが無事終わった。ああ、よかった、よかった。そうして、終わってみると、「別に、そんなに嫌なことじゃなかったんじゃないか」と思っている自分がいる。なぜか、と言えば、それはもう終わってしまったことだからだ。終わってしまって今は無い。それによって、そもそも大騒ぎするほどのことじゃなかったのではないかと思うこと、これを、巷間のことわざでは、喉元過ぎれば熱さを忘れると言う。
そうやって、嫌なことも、あるいはいいことも、一時体験して、その時、嫌な思いやいい思いをして、しかし、それを忘れて、また新たな嫌なことやいいことと向かい合う。そういうことの繰り返しで人生というのは進んでいく、ということを考えると、どうもこう、何だかバカバカしいような気分になってこないだろうか。そういうことの繰り返しが人生、そういうイベントをこなしていくのが人生だとして、そんなもんは面倒だなあと思った昔の人が、おそらくは出家したのだろう。あるいは、出家しなくても、世を捨てて山中に隠棲するということをする。まあ、でも出家や隠棲をしたって、やっぱり生きている限りは、嫌なことといいことを繰り返す他ないんじゃなかったのかな。それ以外の人生の形式なんて、ちょっと想像ができない。
いや、嫌なことといいことを繰り返してなんていないよ、わたしの人生はずっと嫌なことばかり(あるいは、いいことばかり)だよ、という方もいるかもしれない。
だとしても、嫌なこと、いいこと、というこの考え方自体が、わたしたちの人生の形式を決めていることは、どうやら確実なようである。どうも、それ自体が、わたしには嫌になることがあるのだが、そうやって嫌になるというそのことが、やはり、「嫌なこと・いいこと」という形式の中にいるということを表している。
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