第13話 他人の語る人生論がくだらない理由
他人が語る人生についてのありがたいお話は、全てくだらない。なぜか。例えば、人生に関して、こういう意見があるとする。「人間は好きなことをして生きるべきだ」と。近頃よくよく聞く意見である。これに対しては、 以下のような反論が可能である。「いや、人間は自分の好きなことばかりして生きるべきではなく、世のため人のために生きるべきである」と。この反論が支持されるかどうかということは問題ではない。問題は、こういう反論が可能だというそのことである。反論が可能だということは、「人間は好きなことをして生きるべきだ」という、この意見が絶対的なものではないということを表している。
さて、自分の人生というのは絶対的なものである。やり直すわけにはいかないし、他人に自分の代わりに生きてもらうわけにもいかない。その絶対的な自分の人生を、絶対的ではない他人の人生論によってはかるということは、できない相談である。気持ちは分からないでもない。自分の人生をどう生きていけばいいか分からないので、他人の教えにすがりたくなるのだろう。しかし、その分からなさこそが、人生の妙味である。その妙味をみすみす失ってしまったら、それこそ何のために生きているのか分からないではないか。
自分が生きて死ぬことと、他人が人生について考えたことの間には、何の関係も無い。試みに、自分がもう少しで死ぬところを想像してみよ。死の床についているでもいいし、余命宣告を受けているでもよい。そんなときに、他人の人生論がなんの役に立つだろうか。何の役にも立ちはしない。それを読めば寿命が延びるというのなら、話は別だが。
人生に関しては、他人の説教を聞いたり、本を読んだりするのではなく、自分で考えなくてはならない。考えなかったつけは、最期を迎えるときに、必ずやってくる。
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