第123話 生き方は決して間違えることができない
自分の生き方が間違っているんじゃないかと、たいていの人が考えたことがあるのではないか。ああもできた、こうもすべきだったと過去を後悔し、このままでいいのかいけないのかと未来を悩む。ハウツー本を読んでも何となく納得できず、宗教に従おうとしても信仰心が起こらない。
なに、そんなに悩むことは無い。間違いというのは、基準ありきの話だ。何か一つの基準があって、それに適合すれば正解、不適合だったら間違いになる。ところが、そんなたった一つの基準なんて無いのである。だから、正しいも間違いも無い。悩むことは何一つ無い。
生き方について偉そうなことを言うヤツがいるが、そんなヤツの言うことを聞く必要は全く無い。誰も、人生を生ききったヤツはいない。生ききったヤツは死んでいるからだ。死者は何も語らない。
死んだことがないという点では、今おぎゃあと生まれた赤ん坊も、100歳の老人も同じだ。どちらもこの瞬間を生きている。次の瞬間に何が起こるかは分からない。この瞬間を生きているということは、次の瞬間を生きてはいないということだからだ。次に起こることが分からないということは、次に起こることを前提にしてものを言うことはできないということだ。それは裏返し、今なにをすべきかということが言えないということでもある。
今なにをすべきか言えないということは、現時点だけではなく、過去・将来のあらゆる時点について言える。人生のあらゆる時点において、今何をすべきか言えないということは、何をすべきかを基準にして、それに従って、正しいとか間違っているとかいうことは、一生涯、言えないことになる。
どうか、このあたりの理屈をしっかりと考えてもらいたい。悩むことでもなく信じることでもなく、考えることが、あなたを自由にする。
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