第122話 自分の顔を見ることができないことのありがたさ

数日前、髪を切った。そうして改めて鏡を見たとき、自分の顔が丸いということに気がついた。髪を切ったことで顔の輪郭がはっきりしたのである。まんまるよりは楕円形に近いけれど、とにかく丸い。丸くて美しくない。


そのとき、わたしは、ふと思った。


もしも、自分の顔をしょっちゅう見ることができるような目の構造になっていたら、嫌になるだろうなあと。


いや、だって、しょっちゅう自分の顔が目に映るわけですよ。美しい人はいいだろうし、美しくなくても自分のことを美しいと思えるナルシストはいいだろうけれど、そのどちらでもないわたしが、常に己のまるい顔を確認することができてしまったら、これはちょっとした地獄である。


そんなことになっておらずに、本当に有り難いと思ったわけである。そうして、もしかしたら、この種のことというのは、他にもあるのではないだろうか。


普通の有り難いこと、たとえば、親の愛であるとか、健康であるとか、社会的インフラであるとか、ちょっと注意すれば気がつける有り難さの裏に、もっとこう、人生を根底的に成立させてくれている有り難さがあるのではないか。


そういう有り難さを意識することができると、その分だけ人生は豊かになると思う。……まあ、自分の顔を見ることができなくて幸せというのも、なんだかなあという気がしないではないが、それはわたしが悪いわけではない、わたしの顔が悪いだけである。

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