第34話 明日の自分は今日の自分ではない
手が荒れている。
――という出だしで、この前も一度書いたけれど、もう一度書く。
右手がカサカサパサパサして、たまに切れる。これを見ていると、つくづく自分の体は自分のもののようでありながら自分のものではないんだなあ、と思う。いくら、「治れ」と言っても、がんとしてそのままの状態なのである。これ一生治らないんじゃないか。そう考えると、心配するのがアホらしい、ということで不安の気持ちがなくなったということは以前書いた。
それはそれ。
もしも治ったとしよう。そうしたら、どうなるか。きっと嬉しいことだろう。さて、そのとき、何が変わったか。手が治った。それもそうだけれど、その手を見て、わたしにはうっとうしい気持ちがなくなり、幸福感があらわれるわけであって、そのとき、実は自分自身も変わっているのである。
ということは、そうやって喜んでいる自分は、現在の自分ではない、別人であると言っても差し支えない。手荒れがあってやれやれと思っている自分と、手荒れがなくなってハッピーな自分は、明らかに異なっている。明日の自分は現在の自分とは違うわけだ。とすると、明日の自分を思い煩うことはできない。それは現在の自分とは違う自分であるからだ。思い煩うべきではないと言っているのではない。端的にできないのである。
禅の言葉に、「前後ありといへども、前後際断せり。」というものがあるが、このあたりの事情を述べているのではないだろうか。よく、「過去にとらわれず、未来を不安に思わず、現在を一生懸命生きましょう」という意味にとらえられているようだが、誤読だろう。
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