第39話 生き死には人任せにできない
皮膚科医が論理的に信頼が置けない存在であるということを書いたが、とはいえ、事実としては、あらゆる皮膚科医を疑っているわけでもなければ、あらゆる医師を疑っているわけでもない。信頼できる医師もいる。わたしは健康には恵まれている方で、大きな病気や怪我をしたこともなく、医師にかかる経験も少なかったのだが、その少ない経験の中でも、この人の言うことなら従ってもいいと思った医師がいる。個人のクリニックを経営されている方で、元は大病院の外科部長を務められていたそうである。何かの拍子にガンの話になって、
「ガンはね、切っても治らないよ。ぼくが手術を担当した患者は、よくなることなくみんな死んだよ」
とおっしゃったことがあって、それを聞いたときに、あ、この人なら、最期を任せてもいいかもしれない、と思った。わたしは、いたずらに希望を持たせる医療というのを好まない。もしも病気にかかって、それが死に至る病であるというなら、そう言ってやるのが、死を知る医師の務めではないか。
わたしは、ここでガン治療の実際のあれやこれやを言っているのではない。ガンが切って治るのか治らないのか、抗がん剤で消えるのか消えないのか、放射線治療がうんぬんかんぬん、などという話をしているのではなくて、人間はみな死ぬものだということを患者に認識させてやるのが治療行為以前に医師のなすべきこととして、言わば、職業倫理として存在するのではないかと言っているのである。その先生の口ぶりからそれが感じられたのだった。
「人間は必ず死ぬんだから、別にガンになったって驚かなくてもいい。あんたが死ぬことと、あんたがガンになったことは、特に関係は無い。あんたが死ぬのはあんたが生まれてきたからであって、ガンになったからじゃない。あんたのガンの根治率? 人間は必ず死ぬ。致死率は100%なんだから、そんなの気にしなさんな」
ということくらい、患者に言ってやれないものだろうか。……まあ、言えないんだろうな。「落ち込んでいる患者さんにそんなこと言えるわけないでしょう!」という反論が来ることくらい想像に難くない。
そうやって落ち込むというのは、その患者自身が普段から生き死にのことを考えていないからである。上で医師の職業倫理と言ったが、やはり、自分の生死に関しては人任せにできない、ということを認識しておくべきだろう。当たり前と言えば当たり前のことだけれど、この当たり前をしっかりと見据えて生きている人がどのくらいいるだろうか。なにやら体の調子が悪くなって、病院に行くと、どうもガンらしい……え、ガン? 先生! わたし、治るんですか? 治るんですよね! 治してください、お願いします! わたし、死にたくないんです! ……死にたくないと言うことで、一体その人は何を言っているのか。死にたくないと言えるほどに、死について考えたことがあるのだろうか。いや、考えたことがないからこその、その発言なのである。一体、誰の人生を生きているつもりだったのだろう。自分の生き死にについては、ガンになる前に、各人で思いを巡らせておくべきである。
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