第17話 テレビや新聞を見ないわけ
世の中で起きていることのほとんどがどうでもよくて、テレビや新聞は全然見ない。たまにニュースサイトを見ているくらいのものである。
ああいうものを見たり読んだりして天下国家のことを論じている人を見ると、よくそんな余裕あるなあ、いったいいつまで生きるつもりなんだろうと、不思議に思わずにはいられない。いや、それを好きでやっていて、自分の人生の時間をそれにこそ当てたいと深く自覚しているならいいと思うけれど、そういう自覚も無く、自分の境遇が悪いのは社会のせいだと、自分と社会が別物だと思って非難しているのを見聞きすると、哀れを感じる。もののあわれならぬ、ひとのあわれである。
再び大地震が起こったり、どっかの活火山が爆発したり、隣国からミサイルが飛んできたり、まあ、そんな大きな話じゃなくたって、交通事故に遭えば、今日死ぬのである。テレビや新聞において、悲惨なニュースをより見ている人こそ、そういうことをより感じられているのでなければウソだろう。
人間なかなか今日死ぬかもしれないなんて考えて生きることはできないだろう、という意見もある。わたしだって、別に、今日死ぬかもしれないと毎日考えて生きているわけではない。アップルの創設者、スティーブ・ジョブズは、「今日死ぬとしたら、今日する予定になっていることを今日するか、毎朝自問自答している」と言っていたらしいが、そういう人はやはり例外だろう。それに、そもそも死んだことがないので、死ぬということがどういうことか本当のところは分からないという論理的な理由もある。
とはいえ、生死についての意識は高い方だとは思う。別に今日明日死ぬとは思っていないが、今日明日死ぬ可能性もあることは承知している。今日明日死ぬ可能性があるなら、つまらないことはしたくない。だから、わたしは、世間と戯れるための手段である、テレビも新聞も見ないのである。
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