第15話 自分が正しいと思っている人の言葉しか、わたしは信じない

誰の言葉だったか忘れたけれど、


「『自分は正しい』と思っている人の言葉を私は信じない。『自分は間違っているかもしれない』と思っている人の言葉の方が信用できる」


という言葉がある。誰でも言いそうなことで、誰の言葉か調べる気にもならない。ただし、誰でも言いそうなことというのは一概にバカにしたものではなくて、誰でも言いそうであるがゆえに、それは普遍に通じている場合もある。


しかし、わたしは、この言葉に、はっきりと反対である。


『自分は間違っているかもしれない』なんて思っている人の言葉は信用できない。なぜか。間違っているかもしれないと自分で認めながら、それにも関わらず発言するのは、不誠実だからである。それなら、そもそも発言しなければいい。発言せずに、そのことについて納得いくまで、よくよくと考えを巡らせればいいだろう。


もちろん、自分は正しいと思っている人の言葉だって、間違っていることもある。判断するのは、常にこちら側だ。大事なのはここで、判断するのが常にその言葉を聞く方なのであれば、話す方は正しいと確信して何の問題も無いということである。その問題の無い確信さえ抱けずに、『間違っているかもしれない』なんてことを思いながら発言する人は、フェアなのではない、ただ間違っていたときに、「間違っているかもしれないって言ったよね」と言い訳をしたい卑怯者なのである。


ウィトゲンシュタインという哲学者は、「論理哲学論考」という著書の序文で、「この書物で伝達される思想が真理であることは不可侵で決定的である、とわたしには思われる。」と書いた。そう思われるまで考えを巡らせてから書いたのである。実に潔い態度である。そうして、彼は、哲学の世界から足を洗って、小学校の先生などを務めた。しかし、その後、自分の哲学に誤りがあったことを認めて、また別の本を書いた。これもまた潔い。


史上に名を残した天才哲学者でさえ正しいと確信したことを間違えるのだから、我々凡人がいくらそんな確信を抱いたっていい理屈である。自分の考えは正しいと思って、堂々と発言しよう。結果、間違えていたときは、ただ間違っていたと認めればいいだけの話だ。

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