第71話 6歳の子どもに理解させることができるか
アインシュタインの名言に、「6歳の子どもに説明することができなければ、あなた自身、そのことについて理解しているとはいえない」というものがあるらしい。6歳か……うーん、ふだん6歳児と話す機会というのが全然無いので、彼らの理解力がどの程度か正確には分からないけれど、いつもここで書いているようなことを6歳児に理解してもらえと言われると、ちょっと難しい気がする。せめて、10歳くらいなら何とか。
しかし、本当にそうだろうか。6歳くらいになれば、随分と哲学的な疑問を抱くようにもなるだろう。たとえば、「ボクはお母さんのお腹の中にいる前はどこにいたの?」とか、「死んだ人はどこに行くの?」とか。そのような疑問を抱くことができるということは、相応の理解力があるということにもなるのではないか。ふだんここで書いていることが、上のような疑問に答えること以上に難しいものでは決してないのだから、うまくすれば、6歳の子どもに理解させることもできるかもしれない。
いや、待て待て、6歳の子どもに理解させるも何も、そもそもわたし自身が、上のような疑問や、ここで普段書いていることに関して、他人に説明できるほど理解できているのだろうか。もうそこからして怪しい。怪しいということは、アインシュタインの言葉を待つまでもなく、わたしは、自分が書いていることを理解していないということになる。
しかし、そもそも、「ボクはお母さんのお腹の中にいる前はどこにいたの?」に類する問題を理解するということは、いったい何をあらわしているのだろうか。そのような問題を、どうすれば理解できたということになるのだろうか。うーん…………分からん。分からないということだけは、はっきりと分かる。これぞ無知の知! ……とか言って、分からないアピールをしているのは、ただのバカであるということは、もう何度も書いた。
分からないなら分からないなりに、何がどう分からないのかを、説明できなくてはならない。しかし、これもまたこれで困難である。何がどう分からないか説明することができたら、そのことについては、もうかなり分かっているということになるからだ。
ただ一つ分かるのは、「分かりたいとは思っているのだけれど分からないという状態」、これが面白いというこのことである。すなわち、考えることは面白い。これなら、6歳の子どもにもちゃんと説明できるような気がする。
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