第113話 「いいね」か批判をするだけのリアクション人生について

SNSの隆盛によって、個人が不特定多数に向けて、自分の意見を言うのが容易になった。反面、その意見に対して反応することも容易になったわけである。


今回わたしが論じたいのは、その反応の仕方について、である。ある人が何かについて主張したとする。それに対して、昨今、その主張を見聞きした人は、即座に、賛成か反対かを決めてしまっているように思われる。賛成すれば、「いいね」、反対なら、批判。


もちろん、ある人の主張については、賛成か反対か、もしくは、興味無ければスルーということしか反応することはありえないのだけれど、ちょっと、そのスピードが速すぎないかという気がする。主張の理由や背景などを探ろうともせずに、その主張をただ字義通り読み取って、賛成反対を決める。そうして、決めたあとは、もうその件については省みない。


主張された内容について、普段からよくよく考えているというなら、まだしも、そうでもないのに、何を考えることもなく、感覚で「いいね」か批判を選ぶという、この感性のあり方は、危ういのではないかと思う。危ういと言っても、別に、社会にとって危険だと言っているわけではなくて、そうやって、簡単に「いいね」か批判かを選んでいるその人にとって危険ではないかと言っているのである。


ある主張を聞いて、その主張の理由や背景などを十分に吟味せずに、そのときの感覚で「いいね」か批判かを選ぶというのは、これは、単なる反射である。もちろん、とっさの反射というのが必要な場合もある。ストーブの上に手が触れたときに、「このまま触れておくべきか否か、それが問題だ」なんてやっていたら、やけどしてしまう。しかし、人生の全般を反射によって過ごすとしたら、それでも、それは、人生を生きていると言うことができるのだろうか。


反射で生きるのであれば、これは動物でもしていることで、人間が動物と違うのは、意志をもって考えて生きることができるというところだろう。ある主張内容について「いいね」か批判をする前に、その主張内容について、どうしてそのような主張がなされたのか、十分に吟味してみることをお勧めする。


(意見を言う側が十分に考えずにコメントしているということもあるのだが、これは、また別の問題である。)

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