第87話 他人の意見からは問いを受け取らなければいけない

他人の意見は肯定も否定もしてはいけない。いや、いけないことはないけれど、あんま意味ない。というのも、肯定すれば、それはただ自分の意見の追認をしているだけであるし、否定すれば、それは自分の意見を通したいだけということになるからだ。どちらにしても自分の意見を固守するということになって、だとしたら、初めから他人の意見を聞いても仕方ないことになる。世の中には、他人の意見を肯定したり否定したりして喜んでいる人が多いけれど、それは無駄である。(もちろん、無駄を楽しむというなら、それはその人の趣味だ。)


では、他人の意見を聞くときにはどのようにすればいいか。キーワードは、「問い」である。それを聞いて、何を疑問に思ったか。何を疑問に思って、新たに考えを巡らせたか。問いを得なければ、他人の意見を聞く意味は無い。他人の意見を聞いて、なるほどねと納得したり、そんなわけあるかと反感を持ったり、そこで話を終えてしまえば、ただそれだけのことである。


他人の意見の肯定は、しばしば共感という言葉に置き換えられ、否定は、しばしば批判という言葉に置き換えられる。共感と批判をしていると、何か有益なことをしているように思われるが、そんなことは無いというのは、上で述べた通りである。


特に、他人の意見を批判すると、それで何ごとかをした気になりやすい。自分の意見と合わないから他人の意見を否定しているだけに過ぎないというのに、なにがしか建設的なことをした気になりがちである。挙げ句は、健全な社会のためには健全な批判精神が必要なんだ、などと、他人を否定しないと自立できないようなちっぽけな自分を守るために、社会まで持ち出そうとする輩までいる。真に健全な精神を目指すあなたは、こういう輩からは距離を取らなければならない。


でも、具体的に、他人の意見から問いを得るとはどのようにすればいいのか。そういう問いを得られたとしたら、このエッセイの目的は達せられたことになる。

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