第100話 ダンボールをまとめるコツと愛智の心
ダンボールをまとめて捨てるとき、ビニール紐で縛って捨てるわけだけれど、これがなかなかうまいこといかない。いかなかった。わたしには、ダンボールを縛る適性は無いのだと思って忸怩たる想いを抱え長いこと来たわけだけれど、先日、ダンボールを縛るコツを調べて、その通り実践してみたら、まあ、あっさりと、うまいことダンボールを縛ることができてしまった。わたしの長年のストレスは、簡単に解消された。
もしかしたら、こういうコツに類することは、他にもいろいろとあるのかもしれない。たとえば、人間関係のコツ、勉強のコツ、料理のコツ、などなどなど。そういうものをきちんと調べて実践すれば、それらに関するストレスも簡単に解消されるのかもしれない。
あらゆることにコツがあるのか。
さあ、では、わたしが今こうして、なにやら考えてものを書くことにもコツがあるのだろうか。考えて書く。このうち、書くことにはコツがあるような気がする。文章の書き方的なものはあるだろう。じゃあ、考えるということに関してはどうだろうか。考えることについて、コツはあるか。あるかなあ……考えるヒント的な。こっちもありそうだな。
さあ、では、考えることにコツがあるとして、考え続けることにはコツはあるだろうか。それは無いような気がする。人はコツによって、考え続けることはできない。ただ知りたいという思いでもって、考え続けるだけである。
でも、いったい何を? わたしは何を知りたいというのか。自分でもよく分からない。特定の何かというわけではないような気がするが、強いて言えば、生きて死ぬというこの人生の形式についてということになるだろうか。ここにこうして生きているということが、何がどうしてどうなっていることなのか。それを知りたい。知ってどうするというのか。どうするということもない。ただ、知りたいだけである。
知りたいという気持ち、すなわち愛智の心。智を愛する心のことを、フィロソフィーといい、それは古人が所有していたものだった。古人の中にあったものが、たしかにわたしの中にも生きているわけで、それを思うと、なんとなし、愉快な気持ちになる。
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