第120話 あんまり物欲が無いというお話
タイトル通りである。
欲しいものや、お金を払ってしたいこと、というものが無い。日本酒くらいかなあ。
昔はもっと、ちょこちょこあった気がする。フォルクスワーゲンのビートルとか、海外旅行とか。それが、なんでかなくなってしまった。
なんで物欲無いんだろうかと考えると、文章を書いていることが関係しているのではないかと思う。どういうことか。たとえば、「フォルクスワーゲンのビートル」と書く。すると、フォルクスワーゲンのビートルが現われるわけである。もちろん、これは言葉の上のことに過ぎない。過ぎないが、たとえば、「わたしはフォルクスワーゲンを持っている。」という事実があったとして、これを伝えるのは何だろうか。言葉である。言葉が無ければ、事実などというものは、誰にも、自分自身にだって伝わらない。とすれば、「現に持っている」ことと、「持っていると言う」ことは、いったい何の違いがあるのだろうか。一面では、それは大きな違いだろう。だって、本当に持っていたら、それに乗って、ドライブしたり、可愛いカレシ・カノジョとデートしたり、そんなことができるのだから。ところで、ドライブしたり、デートしたり、ということを伝えるのは何だろうか。言葉である。言葉がなければ、ドライブしたり、デートしたりなんていうことは、誰にも、自分自身にだって伝わらない。とすれば、「現にドライブしたりデートしたりする」ことと、「ドライブしたりデートしたりすると言う」ことは、いったい何の違いがあるのだろうか。
何にも違いは無いというのがわたしの結論である。つまり、フォルクスワーゲンを持っていなくても、「フォルクスワーゲン」と言葉にして書くことによって、あるいは、「フォルクスワーゲンでドライブした」と書くことによって、現に持っている人と同じことが表現できるわけである。だとしたら、わざわざ持つ必要も無いのではないかと思うのである。税金もかからない。
これは読む人が読めば、いや、あるいは、読んだ人のほとんどみんなが、ただの負け惜しみだろと思うかもしれない。そうかもしれない。現に手に入らないものだから、そんな考え方をして自分を慰めているのかもしれない。それは、わたし自身にも分からないのだけれど、ともかくも、欲しい物が無いというこの気持ち自体が現に存在することは事実である。
そういうことで、わたしには、ほとんど物欲が無い。ただ、物欲はないけど、健康でいたいとか、公共料金をきちんと支払いたいとかいう、そういう欲自体はあるので、そのためのお金は欲しい。その分は、まあしょうがない、仕事するしかない。
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