第21話 感謝は幸福になるための手段ではなく、幸福のあらわれである
仕事が夕方からなので、日帰り温泉に入ってきた。源泉掛け流し。人もあまりおらず、ゆったりとした気分で湯につかることができた。露天もあって、秋の穏やかな空を見上げながら入浴していると、心からリラックスできて、願わくば温泉の中にて秋死なん、てな具合である。
幸福というのは、それほど大したものではなくて、一回400円で入れる温泉の中にもちゃんと存在して、それはつまり、幸福というのは心の中にあるのだと言えば、大分陳腐な話になるが、やはりどうしてもそういうことらしい。
幸福を感じると、自然と感謝の念が湧いてくる。温泉があること、そこまで来るための交通手段と健康状態があったこと、時間があったこと、400円があったこと、そういうことに対する素直な謝意があふれるようになる。
しかし、これはあくまで幸福の結果として感謝があらわれるのであって、幸福の手段として感謝を使うというのではない。よく、幸福を感じるために、身近なものに感謝しましょうという言い方がなされるけれど、目的を持った感謝などというものは、ちと品が無いのではないか。
「いつもご飯を作ってくれてありがとう」と子どもが母親に言うのは、ご飯を出してもらえるありがたさに心から感動したから言うのであって、そう言うことによって母親に、これからもご飯を作り続けてもらいたいがためではないだろう。
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