第78話 悟るための出家に関する勘違い

このところ、仏教がブームであるようである。まあ、このところというか、仏教は、ここ2,500年くらいずっとブームなのかもしれないけれど、「禅」とか、「瞑想」とかいう仏教タームを、よく耳にする。一神教では、なかなか世の中うまいくいかないということが分かってきて、それじゃあ、そういう一神教ではない宗教で、かつとっつきやすいもので、ということで、仏教が注目されているようである。


わたしは、ほとんど仏教については知らないけれど、ただ確実に言えることは、悟りを得るために、なにかしらの行動を取る人は、全て間違っているということだ。瞑想でも、出家でもなんでもいいけれど、悟りのために行動をするということは、もっとも悟りの本質から外れていることであると言っていい。たとえば、悟りのために出家したとする。まあ、日本では、出家したところで、たまに袈裟を着なければいけないという点を除けば、ほとんど一般人と変わりない生活ができるから、なんということもないのかもしれないが、ともかく悟りたくて出家するとしますね。しかし、だとすれば、その限りにおいて、悟りがどういうものか、すでに知られていることになります。出家することで得られるものが悟りであるということが、分かっているわけだから。すると、出家する必要は、実は無いことになる。悟りがなんなのか、最初から分かっているわけですからね。


悟るための出家、悟るための瞑想、などというものはあり得ない。これを先に悟っておかないと、無いものを探して、頭を丸めたり、座禅を組んだりすることになる。挙げ句、それによって得たなにがしかの状態を、悟りだと勘違いすることになってしまう。いくらがんばってみたところで、木に縁って魚を求めることはできないのである。

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